世界のセレブ・ファミリーヒストリー

世界のセレブ・ファミリーヒストリー

英・米・豪・加で放送されている「ファミリーヒストリー」的番組 Who Do You Think You Areの興味深いエピソードを紹介します。セレブの家族史を通じて、世界の知らなかった出来事が見えてくる。今の世界を知る上でも、個人を知る上でも、色々興味深いこと満載です。

【歌手:アニー・レノックス】ユーリズミックス・ボーカルのルーツ:貧困との戦い、スコットランドで強く生きた女性達

ユーリズミックスリードボーカルアニー・レノックススコットランド出身。

Annie Lennox SING campaign, Vienna 2010 b.jpg
By Manfred Werner - Tsui - Own work, CC BY-SA 3.0, Link


祖父母とは仲が良かったが、それ以前の先祖のことは何も知らないという。

裕福な家系というよりは、労働者階級として一生懸命働いてきたルーツがあると考えている。

父方の祖母のルーツは

父方の祖母のルーツをたどるため、父の生まれ故郷スコットランドの港町アバディーンへ。

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アバディーンの町並み

叔母に家族の古い写真を見せてもらう。

祖母の父親は彼女が3歳の時に亡くなったため、祖母自身も父方の家族、ヘンダーソン家のことはよく知らなかったという。

アバディーンの図書館で出生証明書を調べると、祖母の父、アニーには曽祖父にあたるチャールズ・ヘンダーソンの父は蒸気機関車の火夫だったことがわかった。

母の名前はジェシー、旧姓はフレージャーで、出身地はアバディーンよりもさらに北の街、バンフというところであった。

1851年の国勢調査を調べると、当時3歳だったジェシーを始め5人の子供が、未亡人である母親メアリーと共に記載されていた。亡くなった父親は鍛冶屋であった。

また母親の職業欄には「pauper(貧民)」と記されている。

今では使われることの無いこの呼名。高祖母ジェシー一家に一体なにがあったのか。

「貧民」の悲劇

ジェシーの故郷バンフへ向かうアニー。バンフの教会の記録から、ジェシーの父は38歳の時結核で亡くなったことがわかった。

まだ政府による社会保障も無いビクトリア時代ジェシーの母メアリーも、夫に先立たれ5人の小さな子供を抱えて、働く術がなく、あっという間に貧困に陥ってしまったのであった。

国勢調査に書かれていた「貧民」とは、働くこともままならず、援助を受け、貧困の中暮らしている人々を指す人々を指した言葉であった。

このような人々は、教会や地域が運営する慈善施設などで、必要最低限の援助を受けて暮らしていた。

当時彼らが住んでいた家を訪ねるアニー。現在半ば廃墟になったその建物の一室に、家族が詰め込まれて生活していたと考えられる。建物は狭く、明かりもほとんど入らず、家の中は暗かったという。

その後ジェシーが5歳の時に母親も亡くなったことが、教会の埋葬記録から明らかになった。ジェシーは孤児になってしまったのである。

きょうだいはその後、それぞれ個人の家に引き取られ、離れ離れになる。

ジェシーは慈善団体によりクルックシャンク家に送られているが、彼女が10歳の時「使いみちが無くなったから」という理由で、クルックシャンク家から送り返されたという記録が残っていた。

祖父に見捨てられた?孤児ジェシー

ジェシーの足取りを調べる前に、少し遡り、ジェシーの母親メアリーの生い立ちが明らかになる。

教会の洗礼記録から、メアリーは弁護士の父ジェームズ・ローズと、貧しい家庭出身の母との間に婚外子として生まれたことがわかった。両親は結婚せず、父ジェームズはメアリーが生後2ヶ月の時に別の女性と結婚していた。

また国勢調査から、娘メアリーが未亡人として貧困に苦しんでいる間、父ジェームズは妻、3人の娘、2人の召使と共に、メアリー達と実に目と鼻の先で暮らしていたことが明らかになる。

「貧民」として援助を受けながら暮らし、最後には亡くなってしまった娘がこんなに近くに住んでいたことを、父ジェームズは知っていたのだろうか。助けの手は差し出さなかったのだろうか。

ジェシーが身を寄せた意外な家庭

ここでさらに衝撃の事実が明らかになる。

教会の洗礼記録から、メアリーの父ジェームズには妹がいたことがわかった。

さらにその妹の婚姻記録に書かれていた結婚相手の苗字はクルックシャンク。

ジェシーは大叔母のところに送られていたのだった。

恐らくメイドとして働かされていたのだろう。そして理由はわからないが、「利用価値が無くなった」という理由で家を追い出された。

そこには親族としての愛情や同情というものは全く無く、自らの利益だけで子供を引き取り、使えなくなると送り返すなど、まるで10歳の子供をものとして扱っているように見える。

ビクトリア時代の酷いメロドラマのようだ、全てがダーク過ぎるとアニー。

特定の階級の人間であったら、自分のしたことに責任をとらずに子供を放置し、まるで無かったかのようにできることが許された時代。誰もジェシーに愛情を注ぐような人はいなかったように見える。

ジェシーのその後

再度国勢調査を調べると、13歳のジェシーはバンフからアバディーンに移っており、亜麻を加工しリネンを作る繊維工場 (flax mill) で働いているとあった。

繊維工場と聞いてピンとくるアニー。その工場はアニーが子供の頃育った家のすぐ近所にあり、よく遊んでいた場所であった。

自分の先祖がそんなに近くで働いていたことに驚くアニー。

現在は操業していない工場を訪れるアニー。当時13歳のジェシーは恐らく毎日10時間、週に6日は働いていたという。

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当時2000人ほどの子供・女性が働いていたというこの工場。賃金も安く、仕事環境も非常に過酷なものであった。

工場で働く女性は、18歳になると賃金を全額支払われるようになるため、これを機会に結婚するなどして工場の仕事を辞めることが多かったようだ。

ジェシーもその後結婚し、アニーの曽祖父をはじめ4人の息子をもうけたが、35歳の時癌で亡くなった。

人生の選択肢が無く、苦労の多い人生であったが、せめて結婚生活は幸せであったことを願うアニー。ジェシーの人生を知った後で、その息子である曽祖父の写真を見て感慨を覚える。

女王の母とダンスした父方の祖父

次に調べるのは、父方の祖父、ウィリアム・ファーガソン。彼女が9歳の時に亡くなったが、彼女はこのおじいちゃんにとても懐いていたという。

父方の祖父母はロイヤルファミリーが夏の休暇を過ごすスコットランドのバルモラル城で、祖父は狩猟番、祖母は乳搾りをしていた。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4d/Balmoral_Castle.jpg

ギリー(Gillie)と呼ばれる狩猟番は害獣駆除を行ったりして領地の狩猟管理をした他、王家メンバーが狩猟をする際には猟銃に玉を詰めて手渡すなどのアテンダントとしての役割を果たしていた。

祖父はダンスがとても上手く、城のスタッフのために開かれた舞踏会で、当時ジョージ6世の王妃として城に滞在していたエリザベス女王の母とダンスを踊ったことがあるという。

美しい景色の中で、祖父母はある意味素晴らしい生活をしていたと感じるアニー。

狩猟番は鮭を捕まえることもあったという話に、子供の頃祖父が捕まえた鮭を食べさせてくれたことを思い出す。あの時の味が忘れられないという。

城での勤務記録から、祖父母がここで働いていたこと、祖母は結婚を機に城を離れたことも確認できた。

婚外子だったのは誰?

アニーが気になっていたのは、家族の間で、祖父が婚外子であったという噂があることだった。

祖父の生年月日を元に国勢調査を調べると、そこにはきちんと両親の名前が記されていた。ただし、彼の母親が妊娠6ヶ月の時に結婚したことがわかった。

結婚してからできた子供ではなかったが、婚外子というわけではなかったようだ。

さらに祖父の父、つまり曽祖父ジョージの出生記録を確認してみると、まさにそこに彼が婚外子として生まれたことが記されていた。家族の間でこの情報が間違って伝わっていたことがわかった。

教会での「裁判」

ジョージが生まれたのはブレマー(Breamer)という小さな村。ジョージの母親イザベラ・マカーティーの実家がある場所であった。

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当時、裁判所が無いような小さな村では、それに代わり、教会の長老による「kirk session」と呼ばれる小会が開かれていた。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/43/Lorimer%2C_Ordination.jpg

この教会で行われた小会の記録に、ジョージの母イザベラが召喚され、不貞罪を問われたことが記されていた。

イザベラは2年間他の村で召使として働いていた際、農場労働者であったウィリアム・ファーガソンとの間に関係をもち、婚外子を妊娠したのだという。

小会はこのような罪を裁き、村の風紀を管理する他、父親を特定し、父親が生まれた子供に対し金銭的な援助をするよう求める役割も担っていた。

しかしここでは小会が父親であるウィリアム・ファーガソンを見つけ出したという記録は残っていなかった。イザベラは子供の父親から援助を受けることなく、シングルマザーとして、ジョージを育てたようである。

2度の小会への「訴え」

記録をたどるとさらに数年後、イザベラが自主的に小会に出頭した記録も見つかった。

彼女はさらに時計技師である別の男性との子供を身ごもっていた。しかし彼女と時計技師との間には結婚の約束があったという。

しかしこの男性が結婚の約束を反古にしてしまったため、不貞罪には当たらないことを訴えるものであった。

過ちが起きたのは一度だけであること、結婚の約束があったからそれを許したこと、また結婚の意思があることを彼が彼女の家族にも伝えたこと、しかしその約束を紙に書き記したものはないことなど、非常に詳細な情報が残されていた。

2人目の子供の出生証明書にはイザベラの署名が残されていたが、それは「X」の印がついているだけであった。彼女は文盲だったのである。

またさらに数年後、イザベラはまた小会に訴えを起こしている。

3度目となる小会への出頭は、子供達への教育のための資金援助を求めるためであった。

文盲であった彼女は、子供達には同じ思いをさせたくなかったのである。教会により、この願いは聞き入れられ、子供達への学費が支給されることとなった。

イザベラのその後

イザベラの生まれた家を訪れるアニー。丘の上にある貧しい農家は、厳しい環境でありながらも、とても美しいところであった。

イザベラはここで鶏を育てながら暮らし、子供達が家を出てからも一人暮らしを続け、1913年に83歳で亡くなった。

教育のための資金援助を求めた以外は、貧しいながらも生活費の援助を求めることはなかったという。

貧しい村であったため、多くの人々が都市に職を求めて出て行ったが、彼女は村に残り、ギリギリでなんとか生活しつつ、天寿を全うしたようである。

長生きしたため、おそらくアニーが大好きだった祖父も、イザベラに会いにここを訪れたかもしれない。

女手ひとつで子供2人を育て、晩年は丘の上で1人暮らし。とても強い女性だった。

プロローグ

今回取り上げた2人の女性、ジェシーとイザベラ。2人に共通するのは、「貧困との戦い」だとアニーは語る。都市部での貧困、農村での貧困、一体どちらがましだったかとも考えるが、貧困という苦難にどちらがましという答えはなかっただろう。

ビクトリア時代スコットランドとその苦難について、より現実的に感じることができた。また先祖がこうやって困難のなか生き抜いてくれたことで、今の自分があることを非常に感謝している。

ひとこと

イギリス版で良く紹介されるのが、ビクトリア時代。特にこの時代、貧困に苦しんだ先祖の話は実は良く出てきます。場所はロンドンだったり、アイルランドだったり・・そして今回は舞台はスコットランドでした。

やはり印象に残るのは、今のように政府が何か支援してくれるということが無い時代だったので、一度貧困に陥ると非常に生活は困難で悲惨なものであったということ。

オリバーツイストなどのディッケンズの世界を地で行く話は山ほどあったのでしょう。高祖母ジェシーが大叔母に引き取られるも、メイドとして働かされ、挙句の果てには送り返されるなど、まるでキャンディキャンディか小公女か何かのようです。

そういえばロンドンオリンピックの開会式で、病院や社会保障ができたことを表現するパフォーマンスがありましたが、そういうものができた意義はやはり大きかったのだろうな・・と思いました。

それにしても、スコットランドのお城の風景や、イザベラの生家の風景など、スコットランドの自然、過酷ではあったといえ、その美しさはなんとも言えませんでした。

アニー・レノックスそしてユーリズミックスといえば、こちらの歌もどうぞ。


Eurythmics - Sweet Dreams (Are Made Of This) (Official Video)

<イギリス版、2012年>

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