【料理研究家:メアリー・ベリー】スイーツの女王の先祖は評判の悪いパン屋?
プロローグ
メアリー・ベリーはイギリスの料理研究家・批評家。ベーキング、スイーツの専門家として知られ、70歳になってから出演したテレビ番組「Great British Baking Show」で大ブレーク。
By Stephen Reed from England - https://www.flickr.com/photos/donhead/34039048853/, CC BY-SA 2.0, Link
結婚50年になる夫との間には3人の子供がいるが、そのうち一人を19歳の時、交通事故で亡くしている。
自分のルーツについて何も知らないというメアリー。父親はとてもエネルギッシュで導火線が短いタイプ。一方母はいつも家族を優先する落ち着いた人だった。
自分の先祖は、女性は花嫁修業をして過ごすなど、伝統的な、きちんとした普通の一家だったのではないかと思う。
先祖もパン職人
メアリーの父方の祖父母はイギリス東部、ノリッチの出身。祖母アメリアの父、ロバート・ホートンはノリッチのビジネスマンだった。
1830年のディレクトリーを調べると、そこに記されていた彼の職業は「パン職人」。
私にはベーキングの血が流れているのね!と喜ぶメアリー。
当時ロバートが店を構えていたストリートを訪ねるメアリー。今は普通の街並みが広がるこの場所は、ロバートの時代、ギャンブルや売春がはびこり、殺人や強盗もよく起こる、貧しく治安の悪い場所だった。
貧しいエリアでどのようなパンを売っていたのだろう、と考えるメアリー。
ロバートは3人の従業員を雇っていた。小さな家族経営のパン屋で、貧しい地域にありながらも、それなりに成功していたのだろうか。
救貧院へのパン卸売
ロバートはワークハウスと呼ばれる救貧院に大量のパンを卸して財をなしたようだ。卸値は月に160ポンドほど。現在の換算で70万円以上になる。
手工業の中心地だったノリッチは産業の機械化に乗り遅れ、人々の貧困が問題となっていた。救貧院には数百人しか収容できず、ホームレスも大量に発生していた。
ロバートは貧困院だけでなく、このような路上に溢れる貧民に配るパン生産の契約もしていた。その額は現在の額で130万円と高額なものだった。
慎ましくパン屋を開いていると思っていたが、実際はずいぶんやり手だったようだ。
粗悪なパン
3人の従業員で、これだけの大量のパンをどうやって作っていたのだろうか。
当時の方法でパンを作るところを見学するメアリー。
毎日700〜800斤のパンを焼いていたというが、当時のパン工房は釜からの熱、そして小麦粉の粉塵で肺や皮膚をやられるなど、肉体的にとてもキツイところだった。大量の種を捏ねるのも全て手作業で、労働時間は毎日18〜21時間。
パン職人の労働条件は過酷で、当時の調査では街のパン職人111人中、健康に問題がなかった職人は13人しかいなかったという。
1855年の新聞に、救貧院でパンを受け取る貧民から嘆願書が出された、という記事が見つかった。支給されるパンがあまりにもまずく、食べようがないという。しかし調査官が前日のパンを調べてみても特に問題はなかったため、この嘆願は却下された。
By http://wellcomeimages.org/indexplus/obf_images/5f/f9/8582af09590b4b236ebd0088141f.jpg
Gallery: http://wellcomeimages.org/indexplus/image/L0006802.html, CC BY 4.0, Link食べ物を求めて救貧院に並ぶ貧民
ロバートに恨みを持つ人がやったのかしら、と考えるメアリー。実際のところはわからないが、無料でもらっているパンにわざわざ文句をつけたということは、よっぽど何か理由があったに違いない。もしかしたらパンに混ぜ物がしてあった可能性もある。調査官が確認した時には問題はなかったようだが・・。
社会保障がない時代、救貧院は教会が運営していた。この教区に30年以上いたロバートは、教会関係者のコネを使ってパンを卸す契約を結んだり、問題をもみ消すこともできたかもしれない。が、実際にどうだったのかはわからない。
1868年、ロバートは69歳で亡くなっている。パン職人にしては長生きであった。
嘆願書の事は悲しかったけど・・一生懸命働いた人だったと思いたい、とメアリー。
メアリーの高祖母、メアリー・ベリー
メアリーの父方の祖父はイギリス国教会の牧師だった。真面目で堅物、説教もたいして面白くなかったという。ビクトリア朝式の厳しい家庭に育ったのではないかと考えるメアリー。
曽祖父の名前はエドワード。印刷工だった。
エドワードの出生証明書を調べる。エドワードの母、メアリーにとって高祖母に当たる人物の名前も、メアリー・ベリー。
そしてエドワードが生まれたのは、ノリッチでもスラム街に当たるところだった。
エドワードの出生証明書の父親の欄は空欄。母メアリーがその後結婚したという記録も見つからなかった。
メアリーの子供達
教会の洗礼記録を調べると、メアリーはエドワードの前にも、息子をひとり産んでいた。が、ここにも父親の名前は無い。
その後もふたりの子供が生まれているが、全て私生児だった。
この時代、婚外子を産んだ女性は、その後その相手と結婚するか、そうでなくても数年以内に別の男性と結婚する場合が多かった。しかしメアリーは結婚することなく、数年おきに子供を産んでいた。
もしかして売春婦か何かだったのかしら、と考えるメアリー。
専門家は、おそらくメアリーは既婚者との間に子供をもうけていた可能性を指摘した。
4人の子供を産んだメアリーだが、最初の子供を3ヶ月で、またエドワードのあとに生まれた娘も早くに亡くしていた。自分も息子を一人失っているが、一人でも辛いのに二人とは・・と言葉を失い涙ぐむメアリー。
メアリーの家族
子供を4人産み、ノリッジのスラムにいたというメアリー。彼女はどのような家庭で育ったのだろうか。また助けてくれる家族はいなかったのだろうか。
メアリーの父、クリストファー・ベリーは印刷・製本業者で、ノリッチでも高級住宅地に住んでいた。
ベリー家は18世紀後半より3世代にわたり印刷業を営み、大きな本屋も持つなど、ノリッジでも有数の印刷業者だったという。ではなぜメアリーはスラム街にいたのだろうか?
1811年の新聞に、クリストファー・ベリーの破産宣告の記事が出ていた。
事業を拡大しようとして失敗したようだ。
破産に伴い、家財道具が競売にかけられた時の広告も残っていた。ソファ、フランス製のカーテン、マホガニーのダイニングテーブルなど、高級な調度品が並んでいる。これらのものが全て差し押さえられた。
とはいえ、破産イコール即貧困ではなく、破産しても資産の5パーセントは持っておくことができた。
クリストファーは印刷機は手元に置き、新聞を発行するなどして再起を図ろうとしたようだ。
家族の悲劇
メアリーは実は8人きょうだいだった。
メアリーの母と、下のきょうだい6人が救貧院に入ったことを示す書類が見つかった。そこには、救貧院に入った家族に、父クリストファーが週に20シリングを支払うという条件が書かれていた。
当時11歳だったメアリーと、上のもう一人の子供は救貧院には入らなかった。父親の世話や家事をさせられていたのかもしれない。
20シリング払う経済能力があるのに、乳児を含めた幼い子供を救貧院に入れたことに、専門家も首をひねる。
救貧院の衛生環境は劣悪だった。数百人の貧民に食事が与えられたが、そこにはナイフやフォークもなく、皆手づかみで食べるような、混み合って混乱した場所だったという。
専門家もとても異様な状況だというが、クリストファーはどうやらここに家族を捨てたようだ。
そしてメアリーの小さなきょうだいたちは、救貧院で次々と亡くなっていた。
それでも父親が援助の手を差し伸べることはなかったようだ。子供を次々と貧困の中亡くした母親の胸中はいかばかりだったろう。
メアリーはその後、未婚のまま子供を産む。当時、長男には自分の父親の名前をつけることが多かったが、メアリーが息子に父親の名前をつけることはなかった。その代わり、メアリーは死んだきょうだい達の名前を子供につけている。
ここからも、メアリーの父親に対する気持ちが見て取れるのではないだろうか。
職人として生きのびたメアリー
メアリーとふたりの子供たちは、その後どうやって暮らしたのだろうか。
1851年の国勢調査で、メアリーはコルセットメーカーの職についていたことがわかった。
By SAINT-ELME GAUTIER - LE CORSET A TRAVERS LES AGES, Public Domain, Link
コルセット作りは当時需要が高く、小さい子供がいたメアリーは家で内職的に仕事をしていたと考えられる。1週間に4−6シリングと、稼ぎはあまり良い仕事とは言えなかった。
しかしメアリーには得意の客も付き、客の家に出向いて採寸したり、客がメアリーの家にやってきてコルセットを注文することもあったようである。
曽祖父エドワードは印刷工見習い、もうひとりの兄弟も大工になり、それぞれ手に職をつけた。
またエドワードは、独立後も母親の近くに住居を構えていた。
メアリーは70歳で亡くなった。死亡証明書には、死亡を報告したのが息子エドワードであること、最後を看取ったのも彼であることが書かれていた。
最後まで子供がそばに寄り添っていたことに心を動かされるメアリー。
エピローグ
最後に自分の祖父母の墓を訪ねるメアリー。
パン屋として一生懸命働いただろうロバートもだが、最善を尽くして、救貧院を逃れ、家族のために生きたメアリー。
どちらも誇りに思うし感謝したい。
ひとこと
Great British Baking Show は、アマチュアのベーカーが、パンやケーキを焼き、一番を競うリアリティ番組。アメリカの似たようなリアリティ番組よりえげつなさがなく、見ていて楽しい番組です。
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メアリー・ベリーはその中で審査員として登場、焼かれたパンやケーキを味見して、批評するおばあちゃんです。
日本だったら・・・料理の鉄人の、岸朝子さんみたいな存在?(ちょっと古いですかね)そこにマーサ・スチュワートを混ぜたような感じでしょうか??
ベーキングに関する本なども色々出版しています。
Mary Berry's Baking Bible (English Edition)
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ケータリングなど食べ物に関する仕事を続けてきた彼女ですが、一躍有名になったのはこのリアリティ番組によるところが大きいかもしれません。70をすぎてブレークするなんて、人生最後まで何があるかわかりませんね。
好きなことは一生懸命幾つになっても続けるのが大事だと感じます。
さてそんな彼女の先祖、ビクトリア時代のきちんとしたイギリスの家庭を想像していたのに、ちょっと悪徳風のパン職人だったり、家族を救貧院に捨てる父親だったり、未婚のままスラムで子供を何人も産んだ曽祖母だったりと、彼女が想像するような「きちんとした」像は全く見えてこず。
特に混ぜ物疑惑や、問題もみ消し疑惑があるパン職人の先祖については、なんとかポジティブに捉えようとしてましたが、実際の所どうだったのでしょうね。
良いことも悪いことも、赤裸々に見せてくれるのがこの番組の良いところでもあります。
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