世界のセレブ・ファミリーヒストリー

世界のセレブ・ファミリーヒストリー

英・米・豪・加で放送されている「ファミリーヒストリー」的番組 Who Do You Think You Areの興味深いエピソードを紹介します。セレブの家族史を通じて、世界の知らなかった出来事が見えてくる。今の世界を知る上でも、個人を知る上でも、色々興味深いこと満載です。

【女優】オリヴィア・コールマン:オスカー女優のエキゾチックで冒険に満ちたルーツ

プロローグ

イギリスの女優オリヴィア・コールマン。映画「女王陛下のお気に入り」でアン女王を演じ、2018年度アカデミー賞主演女優賞を獲得した。

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By Ibsan73 - https://www.flickr.com/photos/63465486@N07/15983724581/, CC BY 2.0, Link

ノーフォーク州ノリッチ出身。父方の先祖はずっとノーフォークに根ざした農民だった。自分が知る限り、ルーツはこの辺のイギリス人で、大して面白くない感じ。でも母方の先祖についてはよくわからないと言う。

家族の中で、長年忘れられてきた人達がいる。それが誰かを知りたい。自分はどちらかというとパジャマで家にいたいタイプのインドア派で、冒険しないタイプだけれど、先祖はどうだったのか。

6代前の先祖

母方の家系図を調べると、6代前までさかのぼることができた。曽祖父の母方に当たる先祖の名前は、リチャード・バセット、そして妻はサラ。

リチャードはセント・ヘレナ島で生まれたという。

さらにリチャードは1800年代初頭、ロンドンで東インド会社に勤めていたことがわかった。当時の台帳から、大口の取引を任されていたこともわかった。

またインド・カルカッタにも駐在していたことがあり、現地で結婚もしていた。

1798年カルカッタで発行された婚姻証明書。でもそこに書いてある妻の名前は、マーガレット・アン・ハンプトン。あれ?奥さんの名前、サラじゃなかったっけ?

6代前の離婚劇

次に出てきたのは、1808年、教会裁判所に離婚を訴えた記録だった。

離婚を訴えた書状には、最初の妻マーガレットが、妻の姉の家で知り合ったオペラハウスのハープ奏者と親しくしていることが書かれていた。

しかしよく読んでみると、特に何があったわけではないようだ。妻マーガレットがこのハープ奏者に親しげな態度をとっているのを見たリチャードが、妻にもうこの男と会うのをやめろと言ったところ、そんなに妻を信用しないのなら、もう一緒に住めないと妻が別居を申し出た、とあった。

別にやましいことはしていないのに、夫が何か焼きもちを焼いた感じに見えるわね、とオリヴィア。

しかしさらに書類を追ってみると、別居後、妻マーガレットの住まいにハープ奏者が訪れ不貞行為をしていたことが、細かく記載されていた。どうやら召使いからの報告があったようである。

リチャードの勘は正しかったんだ・・・、とオリヴィア。

妻の不貞、でも実は・・?

当時のイギリスでは正式に離婚が認められることは非常に稀だった。議会に特別法のような形で個別に認めてもらう必要があったという。

議会に向かうオリヴィア。そこに保存されている書類には、1809年3月、リチャードとマーガレットの離婚が認められたことが書かれていた。2人に子供はいなかったという。

さらに離婚から20年後にリチャードが残した遺言状。2番目の妻サラと、サラとの間に生まれた息子達に遺産を残すことが書かれており、ここから2人には5人の息子があったことがわかった。

オリヴィアの先祖は、そのうち次男に当たるチャールズ。

しかし次男チャールズの誕生日を調べてオリヴィアはあれっ?となる。誕生日は1807年9月。離婚が成立したのは1809年。

さらに長男は1806年生まれだということもわかった。これはちょうど最初の妻マーガレットが不倫で訴えられた頃ではないか。

妻を不貞で訴えておきながら、裏では自分も同じことをして子供まで生まれてたんだ・・・!

インド生まれの先祖

リチャードの次男、チャールズはオリヴィアの5代前の先祖に当たる。国勢調査を当たると、60代になったチャールズの情報が見つかった。退役軍人として、妻ハリオットと召使い3人とともに、ロンドンの北西にあるレディングという街に引退していた。

妻ハリオットはインド生まれ。キシャンガンジという、インド北東部生まれだという。自分の先祖にインド生まれの人がいるなんて!と興奮するオリヴィア。

ハリオットの出生について調べるため、インドに飛ぶ。

ハリオットの出生の謎

ネパール国境にもほど近い、ビハール州キシャンガンジ。ハリオットは、植民地化される前のインドで生まれていた。

当時のイギリスは、東インド会社の貿易を通じて、インドでの影響を広げていった。東インド会社は貿易のための商船の他、当時のイギリス軍の2倍の規模に当たる独自の軍隊も持っていた。

ハリオットの婚姻証明書から、ハリオットの父親の名前は、ウィリアム・スレッサーだということはわかった。1778年生まれ。東インド会社付きの軍人で各地を周り、1804年大佐に昇進。

しかし不思議なことにウィリアムの結婚に関する記録も、ハリオットの出生の記録も残っていないという。

記録が残っていないのは、ハリオットの母親がおそらく地元のインド人だったからだという。この時代、適齢期のイギリス人女性がインドの奥地にいるということはまず考えられなかった。実際東インド会社の軍人の三分の一は、地元女性と結婚していた。

スレッサー家の所持品リストが残っている。そこには聖書や水タバコ用パイプといったアイテムの他、象一頭、と書かれていた。イギリスとインドの文化が融合した、しかも家に象がいるような環境でハリオットは育ったのかしら、なんて素敵・・と感慨を覚えるオリヴィア。

しかし幸せは長く続かなかった。1810年、ハリオットが3−4歳頃、父ウィリアムは狩猟中の銃の暴発で頭部を撃ち抜かれ即死してしまう。

ハリオット、イギリスへ

その後、ハリオットと母親はいったいどうしたのか。

現地人である母親の消息については、わからないという。しかしハリオットについては、イギリスにいる祖母が、インドからイギリスに戻るための渡航費用を負担する、という弁護士からの手紙が残っていた。ハリオットの祖母の名前もハリオットだった。

まだ小さなハリオットをひとりイギリスに送り出さないといけなかった母親の心情を考えて、涙するオリヴィア。現地人である母親には、ハリオットの行く末について決める権利はおそらく何もなかっただろう。

しかしイギリスに渡る方が、子供の未来には良いと考えたかもしれない。いずれにしても、自分にも小さな子供がいるオリヴィアは自分の子供と重ね合わせて泣いてしまう。

イギリスに渡るためには、まずここから500キロ先にあるカルカッタにいかなければならないなど、旅は過酷だった。

また当時は客船などなかったので、東インド会社の貨物船に乗る必要があり、イギリスに着くまで半年はかかったという。

ハリオットが乗った船の乗船名簿が残っていた。乗客リストの中には、親と離れて乗船している子供の名前もあったが、多くは召使いなどが付き添っていた。しかしハリオットはここでもひとり。おそらく他の乗客が世話を買って出たのではと思われる。

父の国とはいえ、行ったことのない異国の地に幼児がひとりで向かうことを想像し、また涙するオリヴィア。しかしハリオットがイギリスに渡らなければ、今の自分もいなかったかもしれない・・・。ハリオットは1812年にイギリスに到着した。

大叔母の遺言、そして故郷へ

ハリオットが17−8歳頃に書かれた、ルイザ・ジェラルドと言う人の遺言状が残っている。これはハリオットの大叔母に当たる人で、ハリオットの祖母の姉妹だった。当時ハリオットはブリストルの寄宿舎で暮らしていたが、大叔母ルイザはハリオットに300ポンドを残すと遺言している。

さらに4年後、遺言状にはハリオットにさらに500ポンドを残すことが追記されていた。合計800ポンド。今のお金で4万ポンド、580万円ほどになる。ハリオットのことをとても気にかけてくれていたんだ、と感動するオリヴィア。

大きな遺産を手にしたハリオットは、それを渡航費用にして、1832年カルカッタに渡っていた。

自分のルーツや母親を探しに戻ったのかもしれない。

また、イギリス人とインド人の混血「アングロ・インディアン」だった彼女は、自分のバックグラウンドに合った結婚相手を探しにインドに行った可能性もあるという。

その頃、イギリス人女性が結婚相手を探しにインドに渡ることはよくあったという。このような女性を乗せた船は「漁船」と呼ばれていた。「漁船」に乗って夫を釣りに行ったものの、結婚相手が見つからずに帰ってきた女性は、「ボウズ」で帰ってきた、などと揶揄された。

最初の結婚

1832年、ハリオットが結婚した証明書が残っていた。相手はウィリアム・トリッグ・ギャレット中尉。あれ、チャールズではない?

結婚した時期もインドから上陸してあまり間がない。あっという間に結婚相手を釣ったのだろうか。

イギリスからインドに向かう乗船名簿をもう一度見てみると、ギャレット中尉も同じ船に乗っていたことがわかった。船の旅の間に、ロマンスが生まれたようだ。

しかしギャレット中尉は翌年、29歳で亡くなっていた。ハリオットはあっという間に未亡人となってしまったのだ。

インドでの未亡人の暮らしは厳しいものだったという。なんてローラーコースターな人生なんだろう、とオリヴィア。

運命の恋

その後の彼女の情報は数年間途絶える。ハリオットはどうしたのだろうか。

夫の死後5年。2番目の夫となるチャールズ・バゼット1838年、兄弟に宛てて書いた手紙が残っている。チャールズはハリオットとインドで出会い、ハリオットに恋をする。しかし未亡人である彼女は、チャールズからの求愛を断っていた。

その4年後。チャールズ、ハリオットともにそれぞれイギリスに戻っていた。チャールズは、ハリオットの亡き夫、ギャレット中尉の兄弟の家を訪れる。そこで、ちょうど義理兄弟の家に1ヶ月逗留することになっていたハリオットと再会したのである。そこでチャールズがなんとかハリオットにアプローチしようとする様が、手紙には詳細に書かれていた。

同じソファに座り、もう少しで彼女の手に触れられるところで、彼女が手を引っ込めてしまったこと。しかしその後、少しだけ手に触れることができたが、ちょうどお茶の時間になり邪魔が入ってしまった・・など。

まるでジェーン・オースティンの小説を読んでるみたい!とオリヴィア。

翌日、チャールズはもっと自分の気持ちをはっきり伝えようと、しっかり手を握ったところ、彼女が握り返してくれたが、また邪魔が入り・・・。

最後に2人きりになれた時、ハリオットから愛の告白を受けた、と手紙には書かれていた。

キャー!!と盛り上がるオリヴィア。

2人は31歳で結婚した。

2人の写真を渡されるオリヴィア。

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これがハリオット・・・。

結婚後2人はインドに戻り、インド各地を転々としながら4人の子供をもうけた。

インドから、チャールズの兄弟に宛てた手紙は、筆跡が途中で変わっており、2人で仲良く代わる代わる手紙を書いた様子が伝わってくる。

ハリオットのおばあさん

ハリオットが最初にインドからイギリスに戻れたのは、渡航費用を負担してくれた祖母、ハリオットのおかげでもある。

ハリオットの祖母・ハリオットの遺言状も残っていた。ここには、「インディア・ハリオット」に50ポンド残すと書かれている。インドから来たインディア・ハリオットと呼ばれていたんだ。特別な孫だったのね、とオリヴィア。

ハリオットの祖母の名前は、ハリオット・エリザベス・スラッシャー。彼女の子孫が、スコットランドに住んでいるというので会いに行くオリヴィア。

ハリオットの孫が、オリヴィアの母のおじいさんになるわけで、時を超えてその手が触れ合っていたかもしれないと考えると感慨深い。自分の先祖は、せいぜいイギリス人、よくてフランス人の血がちょっと混じってるかも程度に思っていたけれど、こんなエキゾチックなことになるなんて、なんだかすごい。

ハリオットとその母

5代前の先祖が同じだというスコットランドの親戚の家には、ハリオットの肖像画も残っていた。

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ハリオットは軍人だった夫について、ポルトガルで長く生活していた。その頃の日記が残っており、教育のため子供たちをイギリスの寄宿舎に残していかなければならず、その辛い別れが綴られていた。

子供との涙の別れの記述を読んで、また涙するオリヴィア。なかなか会えないけれど、学校が休みの間は、妹ルイザが面倒を見てくれるだろうとある。これは、インディア・ハリオットに多額の遺産を残してくれた大叔母ルイザのことだった。

そして年老いた母親と別れる時の記述。車椅子に乗り、年老いた母親は黒いボンネットを深くかぶり、涙を隠していたという。親戚の家には、そんな母親の肖像画も残されていた。

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1740年代に描かれた肖像画。祖母ハリオットの母の名前はアン・ジュディス・ブリストル。アンの夫は、奇しくもオリヴィアの父方の故郷である、ノーフォークの議員だった。

そしてアンは実はパリ生まれのフランス人。結婚した時、イギリス国籍を取っていた。

アンはフランスでは迫害されていたユグノー教徒だった。このためイギリス国籍を取ったらしい。英語で難民(refugee)という言葉が最初に使われたのが、ユグノー教徒だったという。

先祖にフランス人がいたと思うよ、と母親がぽろっと言っていたことがあったけれど、本当だった!と驚くオリヴィア。

エピローグ

自分が知らない先祖に出会えることができた、素晴らしい経験だった。インド、ポルトガル、フランス、そしてセントヘレナ。こんなにエキゾチックな家族がいたなんて驚きだった。セントヘレナが一体どこなのか、ちゃんと地図で確認しなきゃ。

自分は冒険するタイプじゃないと思ったけど、そういうことを試される機会がなかっただけなのかもしれない。でも先祖はそういう試練にあって、そこでやるべきことをやってここまできたのだと思うと、先祖に対して本当に畏敬の念を感じる。

この旅で、ちょっと自分にも自信がついたというか、勇気をもらった気がする。

ひとこと

ちょうどこの記事の前日にオスカーを受賞したオリヴィア・コールマン。この他にも、Netflixエリザベス女王と現在のイギリス王室を描くドラマ「クラウン」でエリザベス女王役も演じており、そのリリースが楽しみです。

そんな大女優のひとりな彼女ですが、化粧っ気もあまりなく、とても素朴な人柄で(オスカーのスピーチもそんな感じでした)、インドでは周りの景色を見ながらインド人の運転手にあれは何?これは何?と好奇心たっぷりだったり、インドから戻り、スコットランドの親戚宅まで自分で運転する時には、インドではこうやるのよーと言いながらクラクションをブーブー鳴らしまくったりと、なんだかちょっと可愛い感じの人でした。

また自分にも小さい子供がいるということで、小さなハリオットがひとりで渡航しなくてはいけなかったり、親が子供と別れたりしないといけない話になるともう涙腺が崩壊しまくっていました。

さて、ここでもインド人の先祖が出てきた話がとても印象的でした。東インド会社を含め、長い間イギリスの支配下にあったインド。そんなインドに根付いたイギリス人もたくさんいたわけで、ハリオットのようなアングロ・インディアンのエピソードは以前も紹介しました。

familyhistory.hatenadiary.com

インドに限らず、いろいろな植民地が自分の母国よりも故郷になっている人もいたんですよね。

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そして、先祖が生まれた場所として紹介されていたセントヘレナ島。どこかわかりますか?なんとこんなに陸の孤島です。

ナポレオンの流刑地としても有名ですが、こんな遠くまで流されてたんですね・・。

そして一度は求愛を断ったハリオットとチャールズの運命の再会と、その恋の行方・・本当にロマンチックですけれど、かなり詳細なことを兄弟に書き送っているのがなんとも微笑ましい。そして数百年後にこれがこうやってテレビで晒されるとは、思っても見なかったでしょう(笑)そしてそんな手紙や写真が、今もちゃんと残されていたのがすごすぎます。どこに保存されていて、どうやって見つかったんだろう・・・。

実はダブル不倫疑惑もある先祖の離婚劇に関しても、イギリス議会の書庫のようなところに、大きな巻物のようなものが大量に保管しているところがあり、そこにエプロンをかけたおばさんがいて書類を出してくれたりして壮観でした。

こうやって過去の情報が残っている、それを保管管理整理している人達がいる・・・ということのすごさも感じた回でした。

またフランスで迫害されていたプロテスタントであるユグノー教徒のことについても、機会があれば取り上げたいと思います。