世界のセレブ・ファミリーヒストリー

世界のセレブ・ファミリーヒストリー

英・米・豪・加で放送されている「ファミリーヒストリー」的番組 Who Do You Think You Areの興味深いエピソードを紹介します。セレブの家族史を通じて、世界の知らなかった出来事が見えてくる。今の世界を知る上でも、個人を知る上でも、色々興味深いこと満載です。

【女優:リヴ・タイラー】エアロスミスにつながるミュージシャンの血、そしてアフリカの血

プロローグ

リヴ・タイラー。「アルマゲドン」「ロードオブザリング」などで有名な女優である。

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By lichtmaedel2 at http://www.flickr.com/photos/bedpanjohn/ - http://flickr.com/photos/lichtmaedel2/2233038718/, CC BY-SA 3.0, Link<


父はエアロスミスのボーカル、スティーブン・タイラー、母はモデルのビビ・ビュエル。

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By S. Nadal - Own work, CC BY-SA 3.0, Link

当時歌手のトッド・ラングレンと交際していた母ビビであるが、スティーブン・タイラーとの間にリヴが生まれる。

ラングレンは自分の子供ではないことを承知でリヴの父親となり、彼女が自分の本当の父親が誰かを知ったのは11歳の時であった。

イタリア系である父スティーブンの本当の苗字は「タラリコ」。

彼の父親、リヴの祖父ヴィクター・タラリコはクラシックピアノ奏者だった。

スティーブンの祖父、リヴの曽祖父ジョバンニ・タラリコはイタリア移民で、兄弟で地方を回る楽隊のミュージシャン。

音楽一家であったタラリコ家についての情報は多いが、スティーブンの母親、スーザン・ブランチェのルーツについては謎が多い。

祖母の顔写真を見ると、何かわからない謎めいた部分があるという。

祖母のルーツをたどる

地元の図書館を訪れるリヴ。

国勢調査から、祖母方の6代前の先祖であるロバート・エリオットまでたどることができた。

1860年の国勢調査では、ロバート・エリオットは60歳。1800年生まれで、職業は靴屋。ニューヨーク生まれで、妻と4人の子供がいた。

国勢調査の人種欄は空欄だった。これはこの地域の95%が白人だったため、特記すべきことがなければ空欄だったと考えられる。

10年後の1870年の国勢調査。69歳になったロバート・エリオットであるが、そこではなぜか彼の人種欄だけ「M」と書かれていた。

これは「ムラート」の略で、白人と黒人の混血という意味。

当時調査員により、手書きで書かれていた国勢調査だが、なぜか彼の「M」の部分だけ、まるで強調するように何重にも書いてあった。

10年前の調査には何も書いていなかったのに、と混乱するリヴ。

黒人の先祖、そしてスティーヴン・タイラーとの驚くべき共通点

さらに詳しく調べるため、ニューヨーク州クリントン郡、プラッツバーグに向かう。

1885年に出版された地域の歴史本に、「ロバート・エリオットという黒人(colored man) が、この土地に移住してきた」というくだりがあった。

やはり彼は黒人、または混血だったのだろうか。はっきりはわからない。

多様性のあるニューヨークで育った自分には想像がつかないが、この小さなコミュニティで有色人種として生活していくというのは、どんな感じだったのだろうか。今となっては、当時このコミュニティの人達が、肌の色の違いをどれだけ気にしていたかも、知る由がない。

1875年の新聞に、ロバート・エリオットの生い立ちが書かれていた。そこには、ロバート・エリオットは子供の頃ライト大佐の庇護に入り、プラッツバーグの戦い(1812年米英戦争での戦い)では、少年鼓手を務めた、と書かれていた。

This is crazy! と驚くリヴ。父、スティーヴン・タイラーは、実はもともとドラマー。その後ボーカルに駆り出されたが、本来はドラマーなのだという。先祖もドラムを叩いていたことに興奮する。

しかしライト大佐の庇護にあった、とは一体どういうことか。専門家は、これはおそらく「年季奴隷制(indentured servitude)」に基づく関係にあったのではという。

奴隷は死ぬまで誰かの所有物として労働を強いられるが、年季奴隷制の場合は、決まった期間が過ぎれば自由の身になれた。

ニューヨークでは、1799年から奴隷制廃止が始まったが、奴隷がすぐに自由になれたわけではなかった。

その過渡期の間、奴隷の母親から生まれたものは、この年季奴隷制のもと、28歳になると自由になれる、というルールがあった。

ロバート・エリオットもおそらく奴隷だった母親から生まれた可能性が高い。

ロバートの息子もまた・・

ロバート・エリオットの息子、ジョージ・ワシントン・エリオットは1837年生まれ。南北戦争時、ちょうど兵士として戦える年齢だったことから、入隊記録がないか調べる。

23歳のジョージの名前が見つかった。髪や目、肌の色など身体的特徴を書く欄には、髪の色、目の色ともに「黒」、肌の色は「浅黒い」と記入されていた。

1861年リンカーン大統領は南北戦争のため、国民に軍に志願するよう呼びかけ、多くがそれに応えた。

しかし一方、リンカーン大統領は黒人が入隊することには難色を示しており、この時点で黒人の入隊はできなかったという。

つまり、1861年の時点で入隊しているジョージは、白人として通っていたということであった。

自分のことを有色人種と思っていなかったか、または黒人のルーツを隠していたか・・自分自身をどのように見ていたかについては、謎である。

ジョージの軍での役割は何だったか。書類に書かれていたのは、

「ミュージシャン」。

祖父も、祖母の家系にも、代々ミュージシャンがいたことを発見し、小躍りするリヴ。

鼓手の役割

ジョージの軍での記録を調べるため、ワシントンDCに飛ぶ。

1862年の記録では、25歳のジョージは第一大隊、歩兵12連隊に所属。

ジョージもまた、鼓手であった。

Civil-War-US-Army-drummer.jpeg
By Unknown - Library of Congress, Prints & Photographs Division, LC-BH822-46 (original glass negative), converted to digital format by the Library of Congress, archival TIFF version (28 MB), cropped and converted to JPEG with the GIMP 2.4.5, image quality 88., Public Domain, Link
南北戦争時の少年鼓手

鼓手は、朝の起床の合図から、戦場で発砲やその他戦闘に関する合図をドラムで送る役割を果たした。

合図に合わせ、18種類の演奏方法があったという。戦場で大砲や銃弾が飛び交うような中でも、ドラムの音が聞こえれば、次にどうしたら良いかがわかったという。

実際に当時のドラムの演奏が再現される。感動で涙ぐむリヴ。

ジョージの部隊はメリーランド作戦に合流、アンティータムの戦いに参加していた。

アンティータムの戦いは、南軍が北部に侵攻してきたもので、北軍だけで犠牲は1万2000にのぼる壮絶な戦いだったという。

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By Thure de Thulstrup - website of the Old Print Shop, New York City, Public Domain, Link

鼓手は非戦闘員で、ライフルなどの武器は持たなかったが、戦闘中はけが人の運搬や世話など、必要なことは何でもしたという。ジョージも戦闘のど真ん中にいたことは間違いない。

さらに1年後、ジョージは二等兵となっていた。

戦闘の犠牲で兵士不足だったこともあり、ジョージが戦闘員となるよう志願した可能性が高い。

さらに1863年7月2日から数日間の記録には、ゲティスバーグ近郊での戦闘に参加したことが記されていた。

ジョージは南北戦争において重要な戦いに2度も参加していたのであった。

ゲティスバーグの戦い

ゲティスバーグに向かうリヴ。実際に戦闘があった場所に立つ。

ここは犠牲がもっとも多く出た、「死の谷」と呼ばれるところだという。

1863年に南軍がこの地に侵攻して始まった戦いは、当初北軍が防御に苦戦。しかし2日目に指揮官ジョージ・ミードが複数の部隊を集め、反撃を開始。

この中にリヴの先祖ジョージの部隊も含まれていた。

南軍の兵士は背後の林に隠れていて、そこから急襲してきたという。兵士同士のぶつかり合い、マスケット銃での銃撃。

どちらにも多くの犠牲を出したあと、南軍は撤退。銃撃が止んだあとの戦場には、7000もの死体が転がっていたという。

Harvest of death, USA 1863.jpg
By Timothy H. O'Sullivan - (источник: Сергей Александрович Морозов. Творческая фотография. М.:Изд-во «Планета», 3-е изд., 1989, ISBN 5-85250-029-1), Public Domain, Link
戦闘後のゲティスバーグ

負傷者も3万3000と、南北戦争史上最悪の戦いであったが、北軍勝利した。

ジョージと同じ部隊の人が、家族に書いた手紙が残っている。

「我々は昼夜行進し、敵に向かっていった。

今、戦場で、何百もの死体に囲まれたところで手紙を書いている。

我々の部隊も、450人中、109人を失った。ここには何エーカーにも渡って、死体の山が連なっている。

今まででいちばん素晴らしい独立記念日を過ごしたが、決して気持ちの良い日というわけではなかった」(注:戦闘は7月1日から、独立記念日の前日7月3日まで続いた)

ジョージも同じ場所で、きっと似たような感慨を得ただろう。一度こんな経験をしたら、前の自分には戻れなかったかもしれない。

そして仲間がそれを知っていたかわからないが、彼は白人、ではなかった。

当時、北軍の黒人に対する態度、扱いは決して良いものではなかったという。北軍の中には奴隷制に反対するものもいたが、実際多くはそうではなく、黒人に対し、卑劣な態度をとるものも多かったという。

そんな中、南北戦争に参加したジョージ。彼にとって、この戦いはもっとパーソナルなものだったかもしれない。

こんな素晴らしい先祖のことを今まで知らなかったなんて、とリヴ。

ジョージのその後

1890年、ジョージは59歳の時に軍人恩給を申請している。ニューヨーク州サラトガのスカイラービルという小さな町に移り住んでいた。

彼の晩年を知るため、スカイラービルを訪ねる。

地元の図書館に、1912年、地域の歴史を記したパンフレットが残っていた。

そこには、17人の子供と9人の孫と写るジョージの写真があった。

ヒゲを生やし、威厳のある老人の顔。

南北戦争の退役軍人で、フリーメーソンのメンバーであると紹介されていた。

フリーメーソンは、カルトや怪しい団体というわけではなく、地元の名士が集まり、社交したり、慈善活動を行ったりする、いわば名士会のようなもの。

メーソンの制服を着て立っている彼の写真も見つかる。父スティーヴンの面影もある先祖の写真を見て圧倒され、感動するリヴ。

この地域では、白人用、黒人用のメーソンがあったというが、ジョージは白人のメーソンに参加していた。自らのアイデンティティは白人であったようだ。

エピローグ

自分が育った環境で知り合う人々のバックグラウンドは本当に様々で、皆色々な国から来た人ばかり。そんな多様性が普通の中で生活しているが、ジョージの時代、黒人の血が入っているということは、本当にビッグディールだったに違いない。

そして時代を生き延びるため、そんな背景が彼の人生の選択に大きな影響を与えたことは間違いないと思う、と語るリヴ。

スカイラービルに父スティーヴンも合流。リヴが今までに知った先祖のことを話す。

黒人の先祖がいると聞いたスティーヴン「やっぱり!なぜかはわからないけどずっとそんな気がしていた」。またドラマーが先祖に二人もいることに信じられない、と感動する。

先祖が自分たちの道を作ってくれたことに感慨を覚えるリヴ。人生が大きく変わるような経験だった。これからどのような人間として生きていくか、彼らの存在が心の指標になるような気がする。

最後に二人はジョージとその妻の墓参りをする。

リヴ「ジョージは南北戦争で二つの戦いを生き延びたのよ」

スティーヴン「俺もミュージックビジネスを生き延びたな。俺も英雄だ!」

ひとこと

アフリカ系アメリカ人の中で100%黒人という人はほぼいない、という話は以前エミット・スミスの回でも紹介されていましたが、今回はその逆バージョンでした。

familyhistory.hatenadiary.com

奴隷だったロバート・エリオットの母親も、所有者に子供を産まされたのかもしれません。

本当に、人種差別の歴史は根が深いです。

リンカーン大統領が黒人の入隊を最初は嫌っていたというのも意外でしたし、北軍が必ずしも奴隷制反対ではなかったというところも、もう少し掘り下げて知りたいところです。

ちなみに、南北戦争で黒人部隊ができたのは1863年に入ってからとのことでした。

南北戦争は日本でいうとちょうど幕末の頃ですが、当時の軍隊の記録や戦闘記録が感動するほどきちんと整理、保管されています。今回のジョージ・エリオットの従軍記録もそうですが、部隊の情報だけでなく、きちんと一人一人記録が残っています。

ナショナル・アーカイブなどで現物を見ることができますが、一部オンラインで見ることも可能です。

ゲティスバーグの戦いなど、南北戦争の戦いは、それこそ人と人との一騎打ち、戦争といっても非常に至近距離で行われていたようです。ちょうど写真が撮られるようになった時代ですので、戦闘後に死体が累々とある様子が残っていて、戦慄を感じます。

またゲティスバーグもそうですが、南北戦争の戦場となった場所は、今でも行くと、変な話ですが「まだ何かいる」ようなちょっと気持ち悪い感覚があったりします。本当に何もない山の中だったりするのですが・・ちょっと不気味です。日本でも古戦場で変な気分になるのと似ているのでしょうか。

さて先祖の中に今の自分とつながる職業を見つけたり、共通点を見つけたり・・というエピソードは結構あって、やはり何か遺伝子にその記憶が残されているのだろうか?と不思議になります。

が、一方で、先祖を5代も6代もたどると、自分の先祖はその間に100何十人もいるわけで、それは探せば一人ぐらいは似たような人がいてもおかしくないのかな、とも思ったりします。そこに焦点を当てがちですが、残りの数百人の先祖の血も、確実に自分に入っているわけです。

ただ今回は、スティーヴン・タイラーの父方にも母方にも音楽家の血が入っていた、ということでちょっとすごいな、という感じでした。

リヴ・タイラーは時々映画で見かけますが、ロックンローラーの娘ですが、とてもおっとりと静かに話すのが印象的でした。

そして最後に合流してきたスティーヴン・タイラー。そこにあった花をひょいとつまんでフッと匂いをかいだり、最後のコメントも「俺も音楽業界をサバイブした英雄だ!」と結局自分の話になったりと、あまりに典型的?なロックンローラーの行動で笑ってしまいました。

リヴも、父も母もクリエーティブで、天真爛漫なところがある、と語っていたのですが、親がこういう感じだと、逆に落ち着いた子供が育つのかもしれません(笑)。<アメリカ版、2017年放送>

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