世界のセレブ・ファミリーヒストリー

世界のセレブ・ファミリーヒストリー

英・米・豪・加で放送されている「ファミリーヒストリー」的番組 Who Do You Think You Areの興味深いエピソードを紹介します。セレブの家族史を通じて、世界の知らなかった出来事が見えてくる。今の世界を知る上でも、個人を知る上でも、色々興味深いこと満載です。

【女優】クリスティーナ・アップルゲイト:母の記憶が無い父

プロローグ

女優、クリスティーナ・アップルゲイト

ロサンゼルス生まれ、ロサンゼルス育ち。母は女優、父はレコードプロデューサーと言うショービジネスの家庭に育った。子役の頃から活躍し、特に10年間続いたコメディードラマ「Married with Children」で一躍有名になった。

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By Gage Skidmore - https://www.flickr.com/photos/gageskidmore/14781869542/, CC BY 2.0, Link

両親はクリスティーナが5ヶ月の時に離婚、母に育てられた。父ボブとは離れて暮らしていたが、孫が生まれたことで、より交流するようになったという。

クリスティーナの父ボブは、母を知らずに育った。若くして亡くなったらしく、記憶が全くないどころか、名前さえ知らないらしい。何らかの理由で父ボブの面倒を見れなかったようで、またその死についても、あまり良い噂を聞いていない。

最近になり、子供達で父の出生証明書を取り寄せて初めて、父の母親の名前がラヴィーナだと言うことがわかった。

父は自分がどこからきたのか、誰なのかを知らない。それが原因で、色々な気持ちを押し込めてきたところがあると思う。今回は父の母、自分の祖母のことを明らかにすることで、父の長年の疑問をといてあげたい。

母親の記憶が全くない父

父ボブに話を聞く。出生証明書によると、1942年、ニュージャージー州トレントン生まれ。出生証明書を見るまで、実は自分はもっと歳をとっていると思っていたのでびっくりしたという。父の名前はポール・アップルゲイト、母の名前はラヴィーナ・ショー。

父方の祖母に育てられたという父。祖母が年老いたため、14歳頃から父親と暮らし始めた。自分の母の死については、7歳の頃、祖母に朝食のテーブルでさらっと「亡くなった」と言われたという。しかもバーの外で殴り殺されたと。自分の母親がそんな死に方をしたなんて信じたくない。母が誰なのか、何があったのか知りたい。

ニュージャージー州トレントンに向かうクリスティーナ。

祖父母の婚姻証明書を確認する。祖母ラヴィーナは1921年生まれ。19歳で結婚。また、父が生まれた時、ラヴィーナは実家に身を寄せていたこともわかった。出産前から祖父母は既に別居していたようだ。

母親の足跡をたどる

トレントンの図書館で地元の新聞情報を調べる。

1934年の社交欄にまた子供だった祖母ラヴィーナと妹の写真が掲載されていた。ニューヨークやフィラデルフィアに家族旅行をしたことが書かれている。また彼らの住所は、トレントンの中でも裕福な地域のものだった。

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6年後、1940年の国勢調査を調べる。父親は失業して4ヶ月。当時18歳のラヴィーナの最終学歴は中学2年で止まっていた。

大恐慌後のアメリカでは、少しでも家計を助けるため、子供が退学して働きに出ることは珍しいことではなかった。しかしこの国勢調査では、家族で働いているものは誰もいない。裕福な暮らしから、貧困におちいった家族の姿がそこにはあった。

暴力をふるっていた祖父?

父が生まれた時、祖父母は既に別居していた。2人の間に何があったのか。

2人の結婚について、大量の法廷資料が見つかる。

1942年10月、ラヴィーナが提出した上申書。父はその1ヶ月後の11月に生まれており、ラヴィーナは臨月の妊婦だった。

2人は結婚後数ヶ月は一緒に暮らしたが、その後別居していた。

上申書には祖父ポールが祖母ラヴィーナに暴力をふるっていた詳細が書かれていた。祖父がもう暴力は振るわないと約束したため、祖母はいったん祖父の元に戻ったが、暴力は続いた。最後には祖父が祖母を追い出す形で別居。

祖母ラヴィーナは、自分と生まれてくる子供のために金銭的支援をする約束を祖父から取り付けたが、一銭も支払われていない。そのことを訴えるものであった。

親権をめぐる争い

離婚そのものは1945年に成立。父ボブの親権は祖母ラヴィーナに渡ったが、その後祖父ポールが親権を取り戻そうと裁判を起こしていた。

祖父が提出した書類には、離婚前、祖母が家を出た後なんども戻るよう求めたが、祖母が他の男性と同居を始めたため、(当時不倫は逮捕の対象ともなった)祖母をまだ愛していたが、離婚した方が彼女のためになると思い合意した、とあった。

しかし離婚後、祖母は他の男性と同居しながらも、祖父との関係を続けており、また祖母が子供をおいて明け方に酔って帰ってくることもあったという。

また子供の養育費は出すが、祖母は職についているため、慰謝料を払うことは拒否するとも。

さらに添付されていた医者の診断書には、2歳の父ボブが肺炎にかかっていること、また栄養失調が疑われることが書かれていた。

一連のやりとりを読み、祖父母に大きな怒りを覚えるクリスティーナ。

それに対して祖母は、酒を飲み暴れていたのは祖父ポールのほうであること、男性と同居などしていないこと、子供が肺炎にかかってしまったが、それまでは健康そのもので、大事に育ててきたと反論。仕事などで出かける時は自分の母親か、上階に住む大家に預けていたことを証明する書類を提出していた。

この時代、離婚後の親権はほぼ自動的に母親に渡されていた。祖父ポールが親権を得るには、祖母ラヴィーナが母親としてふさわしくないことを証明しなくてはならなかったが、提出された証拠は十分ではないとして、親権は母親であるラヴィーナが持つ判決が下された。

母のその後

父ボブは、自分の母親とは一緒に暮らしたことはないと言っていたが、実際は短い間でも生活していたらしい。

しかし公的な記録はここで途絶えており、その後、なぜ父が父方の祖母に引き取られたのかはわからなかった。

ショッキングな情報が次から次へと出てきて、涙とともに怒りを覚えるクリスティーナ。一方だけの話を信じるのは難しいし、誰かのことを悪く思うのはいけないことだとは思うが、自分の祖父母を悪く思ってしまうことが悲しい。

1946年、ラヴィーナの母親の死亡証明書が見つかった。離婚裁判が終わってあまり時間が立たずに亡くなっていた。裁判では、子供の面倒は自分の母親が見てくれていると述べていたことから、子供の面倒を見てくれる人を急に亡くし、急遽父方の祖母が面倒を見るようになったのかもしれない。

その後ラヴィーナはどうなったのだろうか。

新聞記事を検索してみると、ラヴィーナ・ウォルトンの名前で死亡広告が見つかった。その後再婚したらしい。1955年、33歳で亡くなっていた。記事には、残された子供として、父ボブの名前も記載されていた。父が13歳の頃のことだったが、父は何も知らなかったことになる。

死亡証明書を確認してみる。死因は結核。しかし同時に、慢性アルコール中毒による肝硬変も併発していた。

ということは・・・、裁判で祖父ポールが主張していたことには真実もあったのかもしれない。

祖母ラヴィーナが埋葬された場所も明らかになった。

おそらく自分の母が亡くなって、息子を見てもらえる人がいなくなったため、祖母は父を手放すしかなかったのではないか。色々な疑問は最後まで解けなかったが、少なくとも父に、自分の母親の死が、言われていたようなひどいものではなかったことを伝えることはできる、とクリスティーナ。

プロローグ

トレントンに父を呼び、今までにわかったことを説明する。子供時代のものではあるが、母の写真を見て泣き笑いをする父。初めて見る母の写真だった。両親の結婚、離婚、そして死について話す。

自分の両親には何も良いこと、幸せはなかったのか、とショックを受ける父。それに対し、この物語の一番良いことは、父、あなただと語るクリスティーナ。負のパターンを破り、父は自分の子供達を強く、賢く、才能を持ち、戦う力を持つ人間に育ててくれた。そしてそれを、誰から教えられることもなく、誰からの助けを得ることもなく父はやり遂げた。

二人で墓地を訪れる。事務所で祖母が埋葬された場所を確認してもらう。埋葬場所には、墓石は建てられていないと言う。

またこの墓所に埋葬されている人のリストを見ると、そこには父ボブの名前も記されていた。父の分のロットも購入してあったのである。生きている間はともに過ごせなかったが、せめていつか息子と隣同士で埋葬されたいという、母の願いがそこにあった。

母のことをもっと知りたかった。自分は母親のことを全く知らないのに、こんなに思ってくれていたとは。と父。

涙ながらに埋葬された場所を訪れる父。70歳にして初めて自分が誰なのかわかった。そして、必ず墓碑を立てると約束する。

アップルゲート家は何も特別な家ではないと思う。影のある話はあったが、大事なのはそれでも先に進んでいくことだと思う、とクリスティーナ。そして父への強い愛情を確認する。

3ヶ月後、父ボブにより、墓地には新しい墓碑が建てられた。墓碑には、「お母さん、ようやく見つけたよ」というメッセージが刻まれている。

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ひとこと

この番組を通じて、自分の両親のことを調べるエピソードはたくさんありましたが、今回は、父親のために、娘が調査を進めるエピソードでした。この番組では色々な時代の背景や知らなかった歴史を知ることができるのも好きな部分ですが、今回の調査はかなり「パーソナル」なものでした。この番組愛好家の間では、アメリカ版ではこのエピソードが良かった、という意見も多いようです。

特に裁判記録は、かなり細かく赤裸々な陳述が残っており、特に2歳の子供が肺炎と栄養失調の疑いがあるという診断書は、見ていてうわあ、かわいそうに・・ととても重たかったです。

真相が明らかになった時もお父さんはずいぶんショックを受けていたようですが、そこをクリスティーナ・アップルゲイトが、この話の良い部分は、父が誰の助けもなく子供を立派に育ててくれたことだ、とうまくまとめてつい涙が出てきました。が、よく考えたら彼女も子供が生まれるまでは父親と少し疎遠だった、と最初に語っていたような・・。父親はその後再婚して、クリスティーナには異母きょうだいもいるようですので、子供全員を代表してそう語った、ということでしょう。