【俳優:チャールズ・ダンス】ゲーム・オブ・スローンズキャストのルーツ・母の意外な先祖・見知らぬ父の足跡
プロローグ
イギリスの俳優、チャールズ・ダンス。1980年にヒットしたTVドラマ「The Jewel in the Crown」出演のほか、最近では「ゲーム・オブ・スローンズ」でのタイウィン・ラニスター役で有名。
今まで貴族の役を演じることが多かった彼だが、彼自身のバックグランドは貴族とは程遠いものだと言う。
母親は13歳から召使として働き始め、ウェイトレスやハウスキーパーなどで生計をたててきた。家族のことはほとんど話さなかった。
父親に至っては彼が4歳の時に亡くなったため、記憶も無く、エンジニアだったということ以外は全く何も知らないという。
自分の成人した2人の子供、そして4歳になる娘が、自分たちのバックグランドを知らないまま歳をとって欲しくない、と彼は語る。
母方の曽祖父出生の謎
母親のルーツを探るため、まず10歳年上の兄マイケルを尋ねる。チャールズとマイケルは、実は父親が違う兄弟だということは、大きくなってから母親から知らされた。マイケルの父親が誰かは知らされなかったという。
兄が知っていた母方の祖父母の名前をもとに、祖父母の結婚証明書が見つかる。証明書には、祖父の職業は木挽、祖母の父親(曽祖父)ジョージは保険勧誘員とあった。それなりに教育があり労働者階級でも上のほうに位置していたようだ。
さらに曽祖父ジョージについて、彼の出生証明書、そして当時の国勢調査の情報を調べると、なぜかそこに書かれた彼の父親の苗字が、それぞれ「ゴールド」「ブース」と違っていた。
ここで分かったのは、曽祖父ジョージは、彼の両親がダブル不倫をして生まれた子供だということだった。出生届を出す際、母親が本来の結婚相手、ブース夫人として届けを出す必要があったため、父親の欄に不倫相手のファーストネームと、自分の夫の苗字「ブース」を組み合わせた名前を書き込んでいた。
曽祖父の両親は、法的に結婚していないことを隠して生活しなければならなかったが、その後さらに6人の子供をもうけた。
「フッヴォイ家」を探る
ダブル不倫をしたジョージの母、チャールズの高祖母エマの出生地はロンドンの高級住宅街マリルボーン。そして彼女の旧姓は、聞きなれない「Futvoye(フッヴォイ)」というものだった。
フッヴォイ家について知るため、チャールズはフッヴォイ家の末裔が先祖について調べたアーカイブがあるというDerbyshireに向かう。
フッヴォイ家はもともとベルギーのスパという街から1791年にイギリスに来たという。そして高祖母エマには11人のきょうだいがいた。きょうだいはそれぞれカナダ軍の重職についたり、家庭教師として働くなど教育のある家庭だった。
エマの父シャルル・フランソワは「芸術家」であったというが、どの分野の芸術家であったかはわからなかった。
ここでエマの父母の肖像画を見せられるチャールズ。特にエマの母親の肖像画が、自分にそっくりだと驚く。「自分が女装しているようだ」
母親の先祖は貧しい家柄だと思っていたのに、ベルギー出身の裕福な家庭にいきついたことにも驚くチャールズ。またこの肖像画が、もしかしたら芸術家であったというシャルル・フランソワが描いたものではないかとも期待する。
シノワズリーで成功したフッヴォイ家
芸術家であったというシャルル・フランソワに興味を持つチャールズ。ケンブリッジのフィッツウィリアム美術館に向かう。そこで見せられたのは、皿の下絵のようなもの。中国人が凧をあげている柄で、紙の裏にはフッヴォイという名前とロンドン・マリルボーンの住所が印字されていた。
また画材商からシャルル・フランソワが大量の画材道具を仕入れていた記録も見つかる。
さらに謎をとくため、ケンブリッジのクレイドンハウスに向かうチャールズ。この屋敷の内装は非常に凝ったオリエンタル趣味。そこで見せられた新聞広告から、シャルル・フランソワは当時流行したシノワズリーという東洋趣味の美術に深く関わっていたことがわかった。
特に「ジャパンニング」といわれる日本の蒔絵を模倣した木箱を作る方法は、当時の上流階級の女性の趣味としても広まっており、彼はその指導、材料の販売まで幅広く行っていた。美術館で見た下絵も、蒔絵の図案として販売していたものだった。
シャルル・フランソワが店を構えていたマリルボーンの住所を尋ねると、そこは現在本屋になっていた。当時の店舗の絵とくらべてみても、あまり内装も変わっていなかった。
なぜベルギーからやってきたか
フットヴォイト家はなぜベルギーからイギリスにやって来たのか。ベルギーのスパという街は、その名前の通り温泉があり、上流階級の人々が湯治や休暇で集まる歓楽街で、湯治施設を「スパ」と呼ぶのは、この土地名から来ているという。
ベルギーでもフッヴォイ家は、スパを訪れる上流階級向けの土産物として珍重された蒔絵「ジャパンニング」を生業にして成功していた。
しかしフランス革命の余波を受け、1789年ベルギーでも反乱が起きる。貴族向けの商売をしていたフッヴォイ家はロンドンに逃げ、そこで店を構えることとなった。
特にマリルボーンは裕福な移民が暮らす場所だったため、ここが選ばれたと考えられる。
またフッヴォイ家は、ロンドンでこの蒔絵やオリエンタルアートを、ロイヤルファミリーにも教えていたことが、当時の新聞記事から明らかにもなった。
若い頃から召使として働いてきた自分の母親の先祖は、東ロンドンの貧しい労働階級だとばかり思っていたが、自分の先祖がこんな遠くから来て成功していただなんて、母親自身も全く知らなかっただろうし自分も驚きだと語るチャールズ。
全く知らなかった父親の足跡
次はほとんど何も知らない父親、ウォルター・ダンスについて調べるチャールズ。父は1949年、彼が4歳の時に亡くなった。亡くなった当時50代で、一度離婚歴があるという。
彼が持っている父親の唯一の写真は、軍服を来た若い頃のもの。専門家に写真を見てもらう。第一次世界大戦のものと思っていた軍服は、実はそれ以前の1900年代のものだとわかる。
1949年に50歳代で父親は亡くなったはずなのに、計算が合わない。この写真の人物は自分の父親ではないのではと考え始めるチャールズ。
しかし当時の軍人登録から、ウォルター・ダンスは1900年、25歳だったことが判明する。自分が思っていたより、父親はずっと歳を取っていた。彼が生まれた時、父親はなんと72歳だった。
父ウォルターは、1899年に起こった南アフリカのボーア戦争に志願していた。その記録から、当時既に結婚しており、ノラという娘、自分にとっては50歳年上の姉がいたこともわかった。
ボーア戦争に参加した兵士に与えられたメダルを見せてもらうチャールズ。彼の部隊は南アフリカでゲリラと闘うなど過酷な経験をしたことも記録から判明する。
全く知らなかった父親の軌跡を知って感動するチャールズ。
姉に起こった悲劇
戦争から戻ってきたチャールズはその後どうしたか。オンラインで国勢調査を調べてみると、ウォルターにはその後もう一人子供が生まれたが、その後亡くなったことがわかった。
ロンドンの住宅街アクトンに向かうチャールズ。そこで見せられたのは、もう一人の姉メアリーの出生証明書と、死亡証明書。5歳のメアリーは、当時住宅建設が進んでいたこの場所で、崩れた足場が頭部を直撃して亡くなっていたことがわかった。
同じ年齢の娘がいるチャールズはショックを受ける。
意外な場所に見つかった親戚
メアリーの死後の家族の消息を当時の居住記録から調べるが、1924年でその足跡が途切れる。
彼らの消息をつかむきっかけになったのが、当時の新聞に掲載されていた、南アフリカでの電気技師の求人。
エンジニアであり、南アフリカでの経験があった彼が応募したのではないかと、その後の渡航記録を調べると、ウォルターとその妻が南アフリカ行きの船に乗った記録が見つかった。
彼らの娘、ノラが南アフリカ出身の男性と結婚したため、数年後一緒に住むために南アフリカに移住したことがわかった。
その後ノラは1993年に南アフリカで亡くなっていたが、彼女の娘が南アフリカ・プレトリアにまだ住んでいるという。
彼女に会いに南アフリカに向かうチャールズ。自分のいとこが訪ねて来たと思った彼女であったが、実は大叔父と聞いて驚く。
ノラの遺品から、彼女が書いた自伝が出て来る。そこには彼が知らなかった、いたずら好きでユーモアのセンスがあった父親の姿が書かれていた。読みながら涙ぐむチャールズ。
南アフリカからウォルターがロンドンに戻ったのは、手術が必要な病にかかったためだった。しかしロンドンに着いた直後、彼の妻が病死してしまう。前の妻とは離婚したと聞いていたが、実は死別していたのであった。
そして間をおかずにウォルターはチャールズの母と結婚。
母の死後すぐに再婚した父を、ノラはこころよく思わなかったであろう。南アフリカに残された家族と、チャールズ達がお互いのことを知ることはなかったのだろう存在を知ることがなかったのは、このためではないかと考えるチャールズ。
エピローグ
父親の写真を1枚しか持っていなかったチャールズ。家族のアルバムの中から、新たに父親の写真をもらう。
南アフリカに自分の家族を見つけたチャールズ。そして全く知らなかった自分の父親について知り、自分との共通点も知ったことで、自分のことを知ることもできた。父の事を誇りに思うし、父が生きている間にもっと父のことを知りたかった、と語る。
ひとこと
あまり日本では知られていない人物でも、そのファミリーヒストリーはなかなか面白いので気にせずどんどん紹介したいと思います(ゲームオブスローンはさすがに人気でしょうか)。
遠い古い先祖をたどるより、自分の知らなかった父母や祖父母など、より直近の先祖を調べるエピソードの方が感動が大きい気がします。
また、チャールズダンス本人も、高齢になってから生まれた子供がいるなど、知らない間になんとなく父親と人生がパラレルになっている部分があるのがなんとも不思議な回でした。
母親は苦労されたようですが、その詳細は紹介されませんでした。世代間でも生活レベルに大きな浮き沈みがありますね。
蒔絵のことはジャパン、陶磁器のことはチャイナと呼ばれていますが、蒔絵を自らの手で施すのが上流階級の趣味として広がっていたのも面白かったです。
個人的には、マリルボーンにある、現在本屋になっている場所、ここでよく立ち読みしたり本を買っていたので、自分が知っている場所が出てきたことも少し驚きでした。
<シリーズ14、エピソード1、2017年7月>