世界のセレブ・ファミリーヒストリー

世界のセレブ・ファミリーヒストリー

英・米・豪・加で放送されている「ファミリーヒストリー」的番組 Who Do You Think You Areの興味深いエピソードを紹介します。セレブの家族史を通じて、世界の知らなかった出来事が見えてくる。今の世界を知る上でも、個人を知る上でも、色々興味深いこと満載です。

【コメディアン:アリステア・マクゴワン】アングロ・インディアン〜インドに根ざしたイギリス人先祖の謎

プロローグ

アリステア・マクゴワンはイギリスのコメディアン・俳優。テレビドラマやミュージカルなどの舞台でも活躍している。

マクゴワンと言う苗字はスコットランド系だが、彼の容貌はスコットランドらしくなく、とてもエキゾチック。昔はよく、あなたは何人なの?と聞かれたという。


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実はアリステアの父ジョージはインド生まれ、インド育ち。しかしインド人というわけではなく、長年インドに住んでいた英国人一家だったらしい。髪や瞳の色がダークなのは、ポルトガル人女性と結婚した先祖がいたから、と聞いている。

しかし父が亡くなった時に取り寄せたインドの出生証明書に、父の出自は「アングロ・インディアン」だと書かれていた。これは一体どういうことなのだろうか。父方の先祖の謎を探る。

カルカッタ生まれの父

ジョージは1928年、インド・カルカッタ生まれ。

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出生証明書を再度確認する。国籍・カースト欄に書かれていた「アングロ・インディアン」の文字。イギリス人なら、国籍・イギリスで良いはずだが・・・。

アリステアの母「インドで生まれ育ったアングロ・インディアンは、イギリス人でもない、インド人でもない、微妙な立ち位置にあったみたい。そのせいか、お父さんは自分はカルカッタ生まれだとは言っても、自分はアングロ・インディアンだ、とは一度も言ったことはなかったわね。カルカッタ生まれだということは誇りに思っていたみたいだけれど」

当時イギリスの植民地だったカルカッタ。父ジョージはインドが独立した6年後、1953年にイギリスに戻り、教師として働いた。

叔父とめぐるカルカッタ

インドをはじめて訪れるアリステア。インドを離れて以来60年ぶりにカルカッタを訪れるという叔父が案内してくれる。

アリステアの叔父「家族の中にインド人と結婚した人がいるという話は聞いたことがない。マクゴワン家はインド人との混血というわけではないと思う」

「当時インドで生まれたイギリス人は、自動的にアングロ・インディアンと呼ばれていた。マクゴワンの人間は髪や目の色が暗いが、何代か前にポルトガル人の奥さんをもらった人がいるからだと思う」

マクゴワン家はカルカッタの港近くに住んでいた。当時の住居を訪れる2人。

祖父セシルは港で荷役監督として働いていたが、趣味はボディービルディングで、レスリング王との異名をとるほどだった。ボディービルのジムを開き、地元民に人気だったという。

当時17歳だった父ジョージの写真も残っていた。

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ムキムキ親子

当時のパーティーの写真を見るアリステア。洋装をした様々な肌の色の人々が集まっている。叔父の説明では、「アングロ・インディアン」はインド生まれのイギリス人を指すというが、写真を見てみると、アングロ・インディアンの肌色は他のヨーロッパ系の住民に比べ、明らかに濃い。

アングロ・インディアンとは

マーヴィン・ブラウンというアングロ・インディアンの専門家に話を聞く。イギリス風の名前だが、出てきたのは小さなインド人のおじさん。彼もアングロ・インディアンだった。

アングロ・インディアンはイギリス人だが、インド人女性と結婚した先祖がいる混血の家系のことを指すという。

アングロ・インディアンの起源は、ポルトガルの時代にまでさかのぼる。ポルトガルは1510年頃、インド南部のゴアを植民地化した。1600年代に入り、イギリスが東インド会社を通じてインドを支配していく。

最初は、植民地にやってきたヨーロッパ人が、現地の女性と一時的な関係を持ち、子供が生まれるケースが多かったかもしれない。その後東インド会社は、地元に定着するためにも、また植民地経営に有用な人材を生み出すためにも、社員と現地女性との結婚を奨励するようになった。

生まれた子供はイギリス式の教育を受け、英語を母語とし、洋服を着て、キリスト教を信仰するなど、完全にイギリス人として育てられた。

曽祖父リチャード

叔父が持っていた曽祖父母の写真。

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曽祖父の名前はリチャード・マクゴワン、曽祖母はイザベル・スチュアート。インド人らしからぬ名前だが、写真を見ると完全にアングロ・インディアンだった。

彼らはアラハバードに住み、リチャードは電報局に勤務。

19世紀後半、イギリス政府はインドに鉄道、通信網を敷いたが、その建築監督の多くがアングロ・インディアンだった。1920年代、アングロ・インディアンの人口の半分が鉄道関連の職についていたという。アラハバードも鉄道の重要な拠点であった。

よりインド人に近い風貌のリチャード。彼の母親がインド人だったのだろうか。

親戚と対面

アラハバードのキリスト教墓地を訪れるアリステア。ここには多くのマクゴワン家の人々が埋葬されていた。

埋葬記録を確認すると、曽祖父リチャードは43歳の若さで、脳溢血で亡くなっていた。祖父セシルも、また父ジョージも脳溢血で亡くなっている。ぞくっとするアリステア。

現在もこの地域に住むマクゴワン家の人々を尋ねる。門柱の表札にマクゴワンとあるのを見て、ここはインドなのだよな・・信じられない、と変な気持ちになるアリステア。

中から出てきたのは、見た目は完全にインド人だが、レジー、ブライアン、ジョナサン・・と、英国風の名前を持つマクゴワン家の人々だった。

その中で高祖父が同じだという「みいとこ」がいた。彼によると、高祖父の名前はラルフ・ジョージ・マクゴワン。妻はエレン。

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ラルフは裁判所の事務員だった。

イギリス政府は、植民地での反乱などを恐れ、同じイギリス人であっても、アングロ・インディアンには権力・特権を与えないよう注意を払っていた。1795年にはすでにアングロ・インディアンの行動を制限する法律が制定されている。このため、ラルフは一生昇進することはなかったという。

高祖父ラルフは1836年生まれ。残されていた出生記録から、父親の名前はスートニアス・マクゴワン、アラハバードの隣、ミールザープルという街の行政官だったことがわかった。しかし、記録には母親の名前が書かれていない。

インド人女性と結婚した先祖

先祖が洗礼を受けた、ミールザープルの教会に向かう。

当時、インドに住む英国人女性の数が絶対的に少ないこともあり、インド人女性と結婚する英国人は多かったという。

当時の教会のパンフレットにスートニアスが、現地の高貴なムスリム女性と結婚したことが書かれていた。当時この地域の土地はイスラム教徒が所有しており、おそらく土地所有者の娘だったと考えられる。

妻がキリスト教徒ではなかったため、教会の出生記録に名前が書かれなかったようだ。

スートニアスは、キリスト教の中でも、スウェーデン神学者エマヌエル・スウィーデンボルグの教えを信仰していた。これは、三位一体を否定するもので、イギリス国教会の教えとは真っ向から対立するものだった。しかしこの考え方は、イスラム教の教義に通じるものでもあった。

イギリス国教会の宣教師達が、地元民達を改宗させようとしていたのに対し、スートニアスは彼らの宗教に敬意を表し、ムスリム女性と結婚したとも言える。それは当時にしてみれば非常に勇気のいることであったろう。スートニアスは信念の人であった。

初めてインドに来た先祖は誰?

インド人の先祖が誰だかわかったところで、次に気になるのは、スコットランドからインドに初めてやってきた先祖は誰かということ。

ムスリム女性と結婚したスートニアスはインド生まれ。

その父親の名前もスートニアスで、東インド会社の軍人だったが、こちらもベンガル生まれ。1798年に23歳の若さで亡くなっている。スートニアスという仰々しい名前の先祖が2人もいるのか!とアリステア。

彼の両親の名前はジョンとメアリー。このジョン・マクゴワンがスコットランドからやってきた人物だろうか?

それにしても、自分のアリステア・マクゴワンというスコットランド的な名前に対して、調べても調べても全くスコットランドが出てこない。インドとのコネクションが深すぎてびっくりする。

アリステアの先祖は、なんと6世代にもわたりインドに根を下ろしていたのだった。

マクゴワン家、驚きの出身地

イギリスに戻り、ジョン・マクゴワンについての資料を大英図書館で閲覧する。

ジョンも東インド会社の軍人だった。そして妻の名前は、メアリーと記されていたが、フルネームはマリア・デ・クルス。この名前、彼女がポルトガル人の奥さんだろうか。

ジョンは下級兵士として軍に入隊したが、その後着々と昇進し、最後には少将になった。彼の遺言書も残っており、そこに残された資産一覧は、金の調度品や象3頭など豪華なものだった。

専門家によると、妻マリアはポルトガル人ではなく、キリスト教に改宗したインド人か、混血の女性だったと考えられる。名前からすると、おそらくインドとポルトガル人の混血だったのではないかという。

1765年、彼らがマドラスのセント・ジョージ要塞で結婚した記録が残っていた。ここはインドに初めて建設されたイギリスの交易、防衛のための場所だった。

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By Jan Van Ryne (1712–60); Publisher: Robert Sayer - Old source New source, パブリック・ドメイン, Link

東インド会社は兵士がインド人女性と結婚して子供をもうけることを奨励し、1687年には金銭的支援も与える布告も出している。こうして、アングロ・インディアンのコミュニティが生まれていたのだった。

エピローグ

では、肝心のジョンの出身地は?

ジョンの入隊記録も残っていた。そこに書かれていた出身国は・・

アイルランド

えーー!と驚くアリステア。スコットランドじゃあ、ないの?!大ショック。あんなにスコットランドを応援する歌を歌ったりしてたのに、アイルランドとは・・・。実際アイルランドのスリゴーという街にマクゴワンという苗字が多いのは知っていたが・・・自分の中でアイルランドに全くつながりも思い入れもない!

アイルランドとインド。思いがけなさすぎる自分のルーツに少しガクッとするアリステア。「みなさんこんにちは、私の名前はシェイマス・シンです」

(注:シェイマスはアイルランドの名前、シンはインドによくある苗字)

ひとこと

このエピソードは本当に面白かったです。スコットランドの血だ、ポルトガルの血だ、と思っていたものが、全部ひっくり返されるという・・(笑)

アングロ・インディアンという人達の存在もこのエピソードで初めて知りました。イギリスの名前、キリスト教を信仰しているけれど、見た目はもう完全にインド人な人達。本当に植民地時代の忘れ物といった感じがします。名前は同じなのに、ここまで見た目が違う一族が親戚として出てきたら、それはひっくり返って驚きますよね。

それにしても叔父さんは、自分達の中にインド人の血は入っていない、と言い切っていましたが、先祖の写真に写っている顔はどれも完全にインド人。間違いようがありません。勝手な推測ではありますが、なんとなく、家系にインド人の血が入っていることをあまり認めたくないような風潮があったんでしょうか。

そこは不思議な感じがしましたが、アングロ・インディアンがイギリス人としての誇りを持ちながらも、必ずしもイギリス人と同じ地位を持っていなかったことを考えると、複雑だったのだろうかなとも考えます。

結婚もアングロ・インディアン同士の場合が多かったようですので、ここで紹介されたムスリム女性や、ポルトガル・インド混血女性だけでなく、もっとインドの血は濃く受け継がれてきたのではと思いました。

植民地支配による混血の歴史については、こんなエピソードもありました

familyhistory.hatenadiary.com

そして最後の最後に、スコットランドがルーツじゃなかったことがわかった時の反応。どっひゃー!!という感じでした。日本だったら、沖縄のルーツを誇りに思ってカチャーシーを踊ったりしていたのに、蓋を開けてみたら福岡出身だった・・みたいな感じでしょうか(ちょっと違いますかね。笑)

ちなみにアリステア・マクゴワン、日本語では全く情報が出てこなかったのですが、主に有名人のものまねをすることで有名なコメディアンです。ものまね芸人ともまたちょっと違う感じなのですが、地方や階級によってアクセントが様々なイギリスらしく、有名人の声色やアクセントを自由自在に使い分ける職人技を持ち、自らのコメディーショーも持っていました。アクセントを使い分ける能力は、舞台などでも発揮されるようです。