世界のセレブ・ファミリーヒストリー

英・米・豪・加で放送されている「ファミリーヒストリー」的番組 Who Do You Think You Areの興味深いエピソードを紹介します。セレブの家族史を通じて、世界の知らなかった出来事が見えてくる。今の世界を知る上でも、個人を知る上でも、色々興味深いこと満載です。

【女優:レベッカ・ギブニー】マオリの地、崩壊家庭の悲劇の歴史

エピローグ

オーストラリアで活躍する女優レベッカ・ギブニーは1964年ニュージーランド生まれ。オーストラリアの人気テレビドラマ「Packed to the Rafters」で母親役を演じ、人気を博した。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f1/Rebecca_Gibney_%288482061062%29.jpg/320px-Rebecca_Gibney_%288482061062%29.jpg

夫、息子と3人で幸せに暮らすレベッカだが、自らは崩壊した家庭で育った。父親アルコール中毒で暴力をふるい、母親は自分の父親に虐待されて育ったという。

こういった事実から目を背けて生きていくのは簡単だが、向き合わないと前に進むこともできないのではと考えている。

母の苦難

6人兄弟の末っ子であるレベッカは18歳までニュージーランドウェリントンで育った。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/11/Wellington_City_at_dusk.jpg
ウェリントン

父はアイルランド系であるが、母のルーツについては全く知らないという。

母は自分の父親から性的虐待を受けて育った。そんな父親から逃れるように結婚したが、さらに夫のアルコール中毒にも悩まされることになる。

レベッカの父は、成績優秀だったが、14歳で学業を断念して働くことを余儀なくされた。その後クリーニング屋となったが、自分の人生に満足せず、飲酒量が増えたのではと言う。

またレベッカの母は、自分の父がなぜ自分を虐待したか、その背景を知りたいと言う。

母は祖父と和解しようと、彼の死の床で、今までのことを許すと告げた。そこにはレベッカも立ち会っていたという。しかしレベッカの祖父は自分が過去にした虐待を決して認めようとしなかったという。それが何よりも悔しかったと母は涙ながらに語る。

家族の中に、何か不幸のパターンがあるのではないか。家族の苦しみを見て育ったために人生に絶望し、そのような人間になったのかもしれない。でもそんな生き方ではいけない、人を許し、人の良い面を見て前に進んでいかないといけない、と母。

自分も辛い人生だったにもかかわらず、子供達を慈しみ育ててくれた母。今は素晴らしい家族に囲まれて幸せだという。

母のルーツ

祖父母の結婚証明書によると、祖父の出身地はニュージーランド、ネルソン。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/08/Nelson_New_Zealand.jpg
ネルソン

移民の乗船記録をたどると、1855年、レベッカの5代前の先祖ジェームス・ウェイ・シニアが妻、2人の子供とイギリスから移民してきたことがわかった。ネルソンへの入植が始まったのは1842年。比較的早い段階での移民だった。

ニュージーランドへの入植は、犯罪者が送られたオーストラリアと違い、移民の自由意志によって行われた。

1840年頃、イギリスでエドワード・ウェイクフィールドと3人の兄弟がニュージーランド会社を設立。南半球にユートピア社会を作るという触れ込みで移民を募集し始める。

New Zealand Company Coat of Arms.jpg
By Archives New Zealand - https://www.flickr.com/photos/archivesnz/16051045881/in/album-72157649292890288/, CC BY-SA 2.0, Link

ニュージーランド会社は、14世紀頃からこの地に住むマオリ族に、金、衣服や武器を与えて土地と交換し、その土地を高額な値段で投資家に売る方法を取った。

しかし入植地での生活は非常に苦しく、人々はマオリからもらった芋などで飢えをしのぐこともあったという。

当時の入植者が、新たに入植を考えている人々に送ったアドバイスが残っている。

「強くて過酷な環境にも耐えうる人物が好ましい。想像力豊かで、人に共感しやすい人、洗練されたハイクラスのジェントルマンは、ここに来ても全く役に立たずに無駄である」

レベッカの先祖が非常にタフだったのは間違いない。

家族を襲った悲劇

過酷な環境の中でも家族は増え、ウェイ家にはさらに2人の子供が生まれている。そのうち1859年に生まれたジェームス・ジュニアがレベッカの高祖父にあたる。

しかし家族に悲劇が訪れる。手渡された新聞記事を読むレベッカ

1860年8月26日、7歳の息子がジフテリアで亡くなる。

そしてその2日後の記事。そこにはさらに、10歳の息子が、服に暖炉の火が燃え移ったことで亡くなったと書かれていた。

記事を震える声で読むレベッカ。涙が止まらなくなる。

さらに悲劇は続く。今度は9月4日に妻が、子供を2人失った悲しみとショックのため、33歳で亡くなってしまう。

約1週間の間に3人の家族を失ってしまった一家。その苦しみ、悲しみは想像がつかない。

転落していく家族

その後、ジェームス・シニアとその家族はどうなったのか。1860年から1880年の記録を調べると、出てきたのは何件もの裁判記録であった。

子供達による盗み。売春宿を経営したことによる罰金刑。また父ジェームス・シニアは何度も傷害事件を起こし、収監された記録もあった。

家族が住んでいた住所に向かうレベッカ。このあたりはいわゆる赤線地域だっという。

1860年頃ニュージーランドでもゴールドラッシュが起こり、それにあわせて売春がはびこるようになった。売春自体は合法であったが、売春宿の経営は違法であったという。

高級な売春宿は高額な賄賂を警察に払って取り締まりを逃れていたが、ジェームス・シニアが経営するような安宿は、取り締まりの対象となった。

劣悪な売春宿だったと思われるところには、子供達も一緒に住んでいたと考えられる。

その後シニアは71歳の時自殺。新天地ニュージーランドでの辛い人生に自らピリオドを打った。

タラナキ戦争に参加した曽祖父

高祖父、ジェームス・ジュニアの子孫が今もネルソンに在住していた。遠いいとこに当たるという老齢の女性2人と、レベッカは初めて対面する。

ジェームス・ジュニアは結婚して子供を16人もうけた。妻はとてもしっかりした人だったという。辛い子供時代であったが、自分の家庭をしっかり築いた、という。

ここで高祖父ジェームス・ジュニアが民兵として、タラナキ戦争に参加したことが明らかになる。

New Zealand settlers and soldiers; or The war in Taranaki- being incidents in the life of a settler (1861) (14774342932).jpg
By Internet Archive Book Images - https://www.flickr.com/photos/internetarchivebookimages/14774342932/
Source book page: https://archive.org/stream/newzealandsettle00gilb/newzealandsettle00gilb#page/n5/mode/1up, No restrictions, Link

弱小植民地であったニュージーランドは、防衛を市民ボランティアである民兵に頼っていた。

1840年、イギリスとマオリ族との間でワイタンギ条約が結ばれる。これはマオリ族に土地の所有権とイギリス国民としての権利を与えるというものであったが、翻訳の問題から、イギリス側とマオリ側で解釈の違いが起き、土地所有権をめぐる衝突が絶えなくなった。

民兵隊はこのために編成されたが、ジェームス・ジュニアが入隊した1877年には衝突はだいぶ収まっており、民兵隊はどちらかというと社交クラブ的な要素を持っていたという。

ジェームス・ジュニアは、射撃訓練では100発中21発しか命中しないなど、あまり成績の良い方ではなかったようだ。

しかし1881年、部隊は数十年ぶりに動員される。

向かった先はパリハカ。先祖の地を追われたマオリが新たに移住して作った村である。またここは植民地支配に対し、非暴力で抵抗する運動の中心地であったが、植民地政府は運動の拡大を恐れ、民兵を投入したのだという。

マオリの村へ

パリハカを訪れるレベッカマオリの儀式で迎えられ、村の長老、そして非暴力運動の中心となったリーダーの子孫と対面する。

この村には1500人の民兵がやってきたが、攻撃のため向かった村では、子供達が歌い踊りながら民兵を迎え入れ、その後ろでは2000人ほどのマオリが静かに待っていたという。

民兵達は子供達をかき分けてまでリーダー達を捕らえることを躊躇したが、司令官の命令により、結局800人ほどが逮捕された。そしてその後、民兵隊による略奪が行われ、残された女性達はレイプされたり、殺されたりしてしまった。

ALEXANDER(1873) p010 ATTACK ON A MAORI PAH.jpg
By Image extracted from page 010 of Bush Fighting. Illustrated by remarkable actions and incidents of the Maori War in New Zealand ... With a map, plans, and woodcuts …, by Alexander, James Edward - Sir. Original held and digitised by the British Library. Copied from Flickr.

涙ながらに語る村の長老、そして涙ながらに聞くレベッカ民兵隊の子孫としてこの村を訪れたのは、レベッカが初めてだという。長老は彼女や先祖を責めるために語っているのではなく、こういうことがあったという事実をお互いに話し、今こうやって訪れてくれたレベッカを村に歓迎したいと語った。

何も知らずに村を訪れ、先祖の行いを聞いてショックを受けるレベッカ。涙ながらに先祖に変わって謝罪をする。非常に恥ずべき過去を知ったが、少しでも和解することができたと思いたい。

祖母の秘密

次は父親のルーツに光を当てる。

父方の祖父母に会ったことがないレベッカ。祖父はアイルランド系だと思うが、祖母については謎が多いという。

祖母が結婚したのは19歳の時だが、結婚証明書には21歳とあった。またアイルランド出身にもかかわらず、家族にはロンドンから来たと語るなど、何か過去を隠しているようであった。

実は祖母は1913年、妊婦としてニュージーランドに1人でやってきた。乗船名簿を確認すると、当時19歳。また子供の出生届を確認すると、ニュージーランドに着いて3週間後に生まれていた。名前はキャサリン

身よりも何もない臨月の女性が、1人で長旅の上ニュージーランドで出産したことに驚くレベッカ。しかし婚外子を身ごもった祖母は、ひとり国を出るしか選択肢がなかったようだ。

祖母は到着後すぐに貧困女性のための施設に入り、子供もそこで生まれたという。

生後5ヶ月のキャサリンは、「industrial school」と呼ばれる施設に送られている。これは身寄りが無かったり、貧困家庭の子供のための寄宿舎で、ここから養子に送られたと考えられる。

Image from page 305 of "The boy travellers in Australasia : adventures of two youths in a journey to the Sandwich, Marquesas, Society, Samoan and Feejee islands, and through the colonies of New Zealand, New South Wales, Queensland, Victoria, Tasmania, and
孤児が送られたIndustrial School

レベッカの祖母は娘を出産後の翌年には、祖父と結婚していた。もしかして結婚の邪魔になるからと、子供を手放したのだろうか。

母娘の再会、家族の拒絶

娘キャサリンは自分の母親を探していた。キャサリンの問い合わせに対し、福祉局が彼女に送った手紙が残っていた。

そこには自分の母親が19歳で1人でニュージーランドに来たこと、父親と思われる人物の名前、貧困と身寄りのない母がキャサリンを手放さなければならなかったことが書かれていた。

オークランドに、キャサリンの娘がいると聞き会いに行くレベッカ

フォスターファミリーに引き取られたキャサリンは、16歳の頃、母を探してウェリントンの街を歩き回ったこともあるという。

母の居場所がわかった際、キャサリンは電車に飛び乗り母に会いに行ったという。彼女の顔を見た母は、父親にそっくりな自分の娘がすぐわかったという。それ以来、母娘は秘密裏に連絡を取り合っていた。

祖父もキャサリンの存在は知っており、もともと結婚時、キャサリンも引き取り一緒に暮らすはずであった。しかし乳児だったキャサリンが懐かなかったため、フォスターケアに送り返すよう言ったのだという。

1954年、祖母が亡くなった時、家族は祖母にキャサリンという娘がいたことを初めて知った。しかし残された子供達は、キャサリンへの財産分与を拒み、連絡を絶ってしまったという。

キャサリンが、自分のきょうだいに書いた手紙が残っていた。そこにはせめてもっとお互いのことを良く知りたい、せめて友人としての関係を結べないか、という、家族としてのつながりを持ちたいという切実な願いが書かれていた。しかし家族に拒絶されることを恐れたキャサリンは、この手紙を送らなかった。

母に捨てられ、辛い思いをし、きょうだいにも背を向けられ、それでも友人でいたいと訴える彼女に、それさえ許さなかった家族。

ずいぶん遅くなってしまったけれど・・と、レベッカは涙ながらに家族に代わり、キャサリンの娘に謝罪する。

エピローグ

家族の中にいつも拒絶感、何か見捨てられた感を感じていたというレベッカ。実は何世代にも渡る悲しく辛い歴史の結果なのかもしれない、と語る。しかし新しい家族を見つけ、色々な出来事に対する和解や謝罪をできたことは、自分の傷を癒す結果にもなった。

ひとこと

パトリック・スチュアートの回も、戦争という悲劇が世代を渡って家族に影を落とす、というのが一つのテーマになっていました。しかしこの回はそれに輪をかけて、何世代にも渡って家族に影響を及ぼした負の歴史がこれでもか、これでもかと出てきて、気の毒になる回でした。

母親のルーツについては、話が高祖父で止まってしまったため、その後、自分の娘を虐待するに至った祖父の話はなかったので、少し尻切れとんぼ感はありました。しかし彼女のお母さん、こういう話をテレビでするのはとても勇気のいることだったと思います。とても穏やかで優しい人柄が滲み出ていて、全てを許し乗り越え、負の連鎖を断ち切った立派な女性だと思いました。

家族の問題については、理由もわからず暴力を振るわれたりと、もしかして自分が悪いのか、と悩み、さらに自分の中で説明がつかないまま、同じことを自分の子供にもしてしまう・・・というパターンになってしまうことはあると思います。

この回は、自分の家族のある意味恥じるべき歴史も色々明らかになりましたが、それに対峙することで、家族がうまくいかない理由が明らかになり、辛い過去と決別し、先に進むことができる・・ということを示した回だったとも思います。

ニュージーランドの歴史なども、今まで全く知りませんでした。オーストラリアと同様、犯罪者が送られていたところだと思っていましたし、マオリによる非暴力運動も初めて知りました。少し調べてみましたら、ガンジーも彼らに影響を受けた面があるようです。また現在、アイヌの方々との交流もあるようでした。

それにしても、本人もアル中の父親など、辛い環境で育ったレベッカさん。しかし実際に家族のルーツを調べる上で、2回も先祖に代わって他の人に謝罪しなくてはいけないことになるとは・・。四六時中泣いているシーンが多かったエピソードでした。

本当に・・自分の子孫が謝らないといけないような行いだけは、しないように心がけたいものです。

<オーストラリア版、2014年>