世界のセレブ・ファミリーヒストリー

英・米・豪・加で放送されている「ファミリーヒストリー」的番組 Who Do You Think You Areの興味深いエピソードを紹介します。セレブの家族史を通じて、世界の知らなかった出来事が見えてくる。今の世界を知る上でも、個人を知る上でも、色々興味深いこと満載です。

【俳優:パトリック・スチュアート】スタートレック俳優のルーツ:フランス前線で戦った父の二面性

プロローグ

サー・パトリック・スチュワート。日本でもスタートレックX-Menシリーズなどで有名な俳優である。

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2007年、舞台「マクベス」を、軍服を着て演じたパトリック。鏡に映った自分の姿の中に、軍人だった父親の面影を見て驚愕したという。

長い俳優生活の中で、父親を自分の中にチャネリングさせて演じてきた部分があったかもしれない、と語るパトリック。そしてそれは一体どういうところから来ているのか、理解したいという。

暴力を振るう夫、有能な軍人

パトリックは1940年、ヨークシャー地方マーフィールド生まれ。兄が2人いる。

母グラディスはマーフィールド生まれ、マーフィールド育ち、優しいがとてもおとなしい人物だった。

軍人だった父アルフレッドは、戦争で不在な事が多かった。一番上の兄が8歳になった時、両親は公式に結婚。パトリックが5歳の時にようやく家に帰ってきた。

それまでは母に可愛がられ、甘やかされて育ったが、父が帰ってきてからは生活は一変。

父は飲酒し、機嫌が悪くなることが多く、母親に暴力を振るったという。子供に対して手をあげることはなかったが、母に対する暴力は、時には警察や救急車を呼ぶこともあるほど酷かったという。

母はそれでも父の事を愛していたようで、父を残して出て行くことはありえない事だったという。

家庭では暴力を振るう父親だったのに対して、軍隊での父親の業績は素晴らしいものだったようだ。この二面性はどこから来るのだろうか。

父の従軍記録

帝国戦争博物館で父アルフレッドの従軍記録を確認する。

ルフレッドは1925年、19歳で軍に入隊。

入隊の日付を見てみると、長兄が生まれる2週間前となっていた。兄が生まれた時両親は結婚していなかったため、彼は婚外子として登録されている。まるで何かから逃げるように入隊したように感じるパトリック。

1933年に両親はようやく結婚。その後、父は連隊内の風紀・規律を取り締まる連隊警官(regimental police)の任務についた。連隊の兵士を厳しく取り締まるこの役職は、時に兵士から嫌われるような厳格な人間である必要があったという。

7年間の任務を終えたアルフレッドは、第二次世界大戦勃発後、34歳でまた軍に戻っている。

所属したのは、略してコイリー(K.O.Y.L.I)と呼ばれる軽歩兵部隊である。正式名はKing's Own Yorkshire Light Infantry

この部隊は戦闘要員ではなく、ドイツ軍との戦闘に備え、軍事物資を輸送するための運輸ネットワークを作るなどの、後方支援を行うためにフランスに派遣された。

部隊は十分な訓練も受けず、即任務につく必要があったため、軍での経験が豊富なアルフレッドの存在は重要であったと言う。

アヴウィルで見たもの

イギリス軍は、ドイツ軍の侵攻に備え、アントワープブリュッセルなど、フランス・ベルギー国境でも北部に重点をおいて準備を進めていたが、1940年5月から始まったドイツ軍の攻撃規模は想像以上であった。

ベルギー国境に向かうため、部隊は列車でフランスを北西に移動する。

当時の隊員の手記には「反対方向の電車には、ほとんど装備を持たないベルギー軍の兵士達が沢山乗っていた。我々の進行方向を指差して首を切るゼスチャーをしていた」とある。

父アルフレッドの乗った列車はアヴウィルという街で止まってしまう。街はドイツ軍の爆撃を受け、壊滅状態であった。

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現在のアヴウィル

空爆は続いていた。街は火と煙に覆われていた。電車から降り、左手にある運河にかかる橋を渡り、草むらに隠れるしかなかった」

アヴウィルを通る線路の上に立つパトリック。当時の隊員の手記から、父が列車を降り、爆撃から逃れた場所を確認する。

手記には、爆撃を受けた街の人々が逃げまどっている様子も書かれていた。「18歳ぐらいの娘が、ショックでおかしくなったのか、狂ったように笑いながら走っているのが見える。線路上にも人々が溢れかえったため、部隊は身動きを取ることができなくなり、電車の運転手も逃げてしまった。」

パトリックは子供の時に父がこの風景について話してくれたことを覚えているという。電車の窓からだらりと出ていた女の人の手。その手には指輪がはめられていたが、しばらくしてまた同じ場所に戻ると、その手から指輪が無くなっていたという。

まさしくこの場所で起こった光景を話してくれたことに気がつくパトリック。子供心に恐ろしくも面白い話だと思って聞いていたが、この話をした時の父の声は怒りが含まれていたかもしれない。

イギリス軍はどんどん北部に追い詰められ、その後、ダンケルクから兵士の撤退が始まった。

コイリーはそれでもすぐには撤退せず、地域がドイツ軍の手に落ちる数時間前にようやく撤退した、最後のイギリス軍部隊であったという。

シェルショック

イギリスに戻った父アルフレッドは、地元新聞のインタビューを受けていた。記事にはアルフレッド・スチュアート軍曹、とあった。イギリス帰還直前に昇格したらしい。

「フランスには3ヶ月いたが、ドイツ軍の残虐さ、特に子供に対する残虐さは忘れられない。3週間ほどはあまり食べるものもなく、ドイツ軍が侵攻する直前にようやく引き上げることができた。しかしその前に受けた爆撃によるシェル・ショックに今も苦しんでいる」

シェルショックとは第一次世界大戦で使われるようになった言葉で、いわゆるPTSDのこと。

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第一次大戦中の写真。目を見開き、視線が遠くに行くなどのシェルショックの症状が見られる兵士

パトリックは父がシェルショックについて話しているところを聞いたことがなかった。今になって、戦争を経験したことによるショック、怒り・・それが父親にあったことに気づく。

ドラグーン作戦

その後アルフレッドは1943年、エリート部隊、パラシュート部隊に志願し入隊する。その時すでに38歳。通常であれば退役する年齢で、肉体的にもきつくリスクも高いこの精鋭部隊に入隊した。

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すぐに連隊先任軍曹(regimental sergent major)に昇進した彼は1944年8月、フランス南部で行われたドラグーン作戦に参加する。

ドイツ軍の侵攻を防御するため、南フランスの海岸沿いの街に上陸するというこの作戦には、米英混合、約9000人の空挺兵が参加した。

父親が米軍の飛行機の前で、他の隊員と写っている写真を初めて見るパトリック。

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父とともに作戦に参加した元隊員とともにヘリコプターに乗り、父がパラシュートで飛び降りた場所に向かう。

朝4時、レ・ムイの街近くに飛び降りたという。眼下は霧で、まるで海に飛び込むようであったという。

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イギリス空挺部隊が作戦に参加している写真はこちら

当時、連合軍の司令部が設置されていた家を訪ねるパトリック。普通の民家から出てきた女性は、当時12歳。彼らが来たことでこの村での戦争は終わった、その日のことは今でもよく話題にのぼる、と語った。

ノルマンディー作戦の影に隠れて忘れられがちであるが、ドラグーン作戦は最も成功した作戦の一つであり、第2のD-dayとも言われている。この数ヶ月後にフランスは解放された。

父がどれだけ勇気のある男だったかを知るパトリック。そして自分がやっていることが、きっと好きだったに違いないと考える。自分の好きなことを一直線にやるという性格は、父から受け継いだものかもしれない。

部隊における「父親的存在」

作戦後イギリスに戻ったアルフレッドは、5ヶ月後の1945年1月、空挺第二部隊の連隊先任軍曹となる。この部隊は1944年9月のオランダ・アミアンの戦いで多大な犠牲を出し、部隊を再構築する必要があった。

立て直しは急を要した。そんな中、部隊の士気を上げるためには、彼のような経験豊かで、ある意味父親的な存在が必要不可欠であったという。

自分の子供にとってはあまり父親らしくなかった人が、部隊の多くの人達にとっては、父親代わりであった事に不思議な感慨を覚えるパトリック。「じぶんは父親を人間としてよく知らなかったのかもしれない」

兄との関係

話を家庭内に戻すと、長兄ジェフリーと父とはいつも折り合いが悪く、それは兄が成長するにつれ悪化したという。

長兄誕生直前の入隊や、長い間正式に結婚しなかった事なども合わせ、もしかしてジェフリーは父親の本当の子供ではなかったのではないかという疑惑を持つパトリック。

生まれ故郷ヨークシャーで記録をたどってみると、母グラディスが父アルフレッドに対し1925年に起こした裁判記録が見つかった。それは生まれた息子ジェフリーの養育費を要求するものだった。

1920年代は、シングルマザーにとってはまだまだ辛い時代であった。子供を持つ母親は仕事を得る事ができなかった上、家を借りる事も難しく、また生まれた子供が財産を受け継ぐ事もできなかったという。また世間の風当たりも強かったため、子供は養子に出される事も多かったという。

そんな中、内気な性格である母が法廷に立ったことは驚きであった。法廷に立つことで、世間の目にも晒されることになるが、子供を守るため必死だった。

ルフレッドはジェフリーが自分の子供であることを認めた。兄が実子であることを確認し、心のつかえが降りたパトリック。

シェルショックの影響

第一次大戦で明らかになった、シェルショックという症状。これが父にどのような影響を与えたのか専門家に話を聞く。

爆撃や戦闘などのトラウマから起こるこの症状は、通常の生活に戻っても、悪夢やフラッシュバック、そして時には暴力という形であらわれるという。

時が経てば治るというものでも無く、何十年も立ってからも、犯罪や、家庭内暴力という別の形で影響を及ぼすこともあるという。

第一次大戦後、このような兵士のために精神病院が作られたが、そこでの治療は電気ショックや催眠療法など、あまり効果が確認できるものとは言えなかった。

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まさに2万2000人もの兵士がこのような施設に入所したが、一生退院できず、家族と引き離されるものも多かったという。

戦争に寄る心の大きな傷。しかしこのような症状を訴えることは、自分の弱さを露呈すること、恥であるという考えもあったため、助けを求めない者も多いという。

そういった心の傷を抱える父親に、自分たちは何ができただろうか?というパトリックの質問に、あまり何もできなかったと思う、と専門家。

もちろんカウンセリングを受けるなどという対策はあるが、父親は戦争の時の気持ちをありのまま正直に話す、ということは絶対にしなかった。

父親が持つ戦争によるトラウマについて初めて知り、専門家と話したことで、安堵するパトリック。

エピローグ

父が好きで良く通っていたというパブで、次兄と話をするパトリック。

父の戦争の経験、シェルショックの話を兄と共有する。

母親に辛く当たっていたことは悲しいことだが、いろいろなことに説明がつく、と兄。それでも軍では素晴らしい成果を上げてきたということは、無意識にそういう気持ちを押さえつけていたのだろう。もしこういう話をすることができていたら、お互いにどんなに気持ちが楽だったろうか。

父の家庭内暴力については許すことはできないが、父親について、新たな側面を見ることができ、もう少し暖かい気持ちで父のことを思うことができるようになった。

そして母はとてももの静かで内気な人物であったが、兄の認知を求めて法廷に立つなど、強い面も持ち合わせていたことを知った。そしてもしかして、自分が今回父について知ったことを、母は全て知っていたのではないだろうか。だからこそ、父の元から去ろうとしなかったのかもしれない。

ひとこと

夏に終戦記念日が近づいてくると、戦争のことが話題になります。少なくとも私が子供の頃はそうでしたが、今はどうでしょうか。

最近映画「ダンケルク」も公開されましたが、今回のエピソードも、フランスの前線で戦った父親の話でした。

私の祖父もシベリア抑留されたそうですが、戦争の話については全く話さずに亡くなったので、戦時中どのような経験をしたのか、まだ知りません。話さなければ話さないほど、実は大きな衝撃、トラウマがあったのではないかと勘ぐってしまいます。

軍人としては立派な功績を残した父親、でも戦争の影はその人物の性格を変え、家庭内にも影響を及ぼし・・・。そういえばパトリック・スチュアート自身も、息子との関係がそれほどうまく行っていなかったような話もどこかで聞きました。もしかしたら戦争の影響は、世代を超えて続いていたのかもしれません。

ずいぶん後になってからでも、なぜ父がこういう人間であったか・・ということをこうやって理解でき、彼の中でいろいろなことに整理や説明がついたことは良かったですね。本来であれば、心を開いてこういうことを話し合える関係が望ましいですが、特に時代もあったでしょうし、親子の関係、なかなかそうは行かないものだったりするものです。

もしかして父親も自分の中で何が起こっているか、理解できていない面があったかもしれません。日本でもありえますね。

第一次大戦、第二次大戦中のシェルショックの患者の映像を見ましたが、普通に歩けなかったり、異様なほどの震えがあったり、とにかく狂ったように笑っていたり・・と恐ろしいものでした。シェルショック、PTSDは今の帰還兵も苦しめる症状で、アメリカではこういった帰還兵がホームレスになってしまうケースがとても多いことも問題になっています。

軍隊や戦争用語の日本語訳は、wikipediaなどを参考にしましたが、間違っていたらすみません。

ドラグーンの作戦については、日本ではどれくらい知られているんだろう・・とちょっと日本語で検索してみたところ、ほぼ戦争ゲームの攻略法のサイトばかりがヒットしてしまいました(苦笑)。

こういう個人の経験談や実際の映像を見た後で、これがエンターテイメントになっているのかと思ったらかなりがっくりきてしまいましたが、例えばこれが三国志に出てくる戦いの戦略ゲームだったら・・ここまでうわっと思わないですね。やはり時が経つと記憶が薄れ、単なる史実として消費されていってしまうんでしょうか。

そういう点では、今の若い人たちにとっては、第二次世界大戦の記憶というものも、私が子供の頃と比べるとどんどん遠いものになっているのかもしれません。

<イギリス版、2012年>

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