世界のセレブ・ファミリーヒストリー

世界のセレブ・ファミリーヒストリー

英・米・豪・加で放送されている「ファミリーヒストリー」的番組 Who Do You Think You Areの興味深いエピソードを紹介します。セレブの家族史を通じて、世界の知らなかった出来事が見えてくる。今の世界を知る上でも、個人を知る上でも、色々興味深いこと満載です。

【ハリー・ポッター俳優:ダニエル・ラドクリフ】宝石強盗の悲劇・途絶えた戦地からの手紙

プロローグ

ハリーポッター役で世界中に知られる俳優、ダニエルラドクリフ

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By Gage Skidmore from Peoria, AZ, United States of America - James McAvoy & Daniel Radcliffe, CC BY-SA 2.0, Link

母親はキャスティングディレクター、父親も俳優として一時期活動していたことがあるなど、芸能関係の仕事に関わる家庭に生まれた。しかし両親は彼を俳優にしようとは思っていなかったと言う。

学校生活が合わずつまらなかったことが、オーディションを受けるきっかけだった。そして11歳からハリー・ポッターとして成長することになった。

これは家族全員の人生を大きく変えることになったが、両親はそんな変化を落ち着いて、時にユーモアの精神を持って受け止めてきた。これはすごいことだと思う、と語るダニエル。

先祖のことは実はあまりよく知らないというダニエル。知っているのは、父方の先祖に、第一次大戦で戦った四兄弟がいること、母方に東欧のユダヤ人の血が多少入っているらしい、というぐらい。

あとは曽祖父が宝石商だったこと、しかし強盗の被害にあい自殺した、というのをなんとなく聞いたことがあるだけだという。

改名の謎

ダニエルの母親から、先祖のアルバムと手書きの家系図が届けられる。

家族の苗字はもともと「ガーション(Gershon)」だったが、途中で「グレシャム」に変えられている。ユダヤ系の名前であるガーションを、よりイギリス風に変えたようだが、誰がいつ変えたのかは不明。

曽祖父母の名前は、サム(サミュエル)とレイ。このサミュエルが自殺したという人物だった。

サミュエルは9人兄弟の8番目。そしてサミュエルの両親ルイとジェシーは、南アフリカで結婚していた。東欧から来たユダヤ人だと思っていたのに、違うようだ。

親戚との対面

ダニエルの祖母のいとこにあたる、ルイス・ガーションという親戚がロンドンにいると聞き、会いに行く。

この日までダニエルと親戚だったなんて知らなかった、というガーション氏。彼の父親はダニエルの曾祖父、サミュエルの弟にあたる。

高祖父ルイにちなんで、ルイスと名付けられたガーション氏の家には、ルイの写真がずっと飾ってあった。写真を見ると、目のあたりがダニエルにそっくり。同じ名前の自分より、あんたの方がまるでそっくりだね!と笑うガーション氏。

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宝石商として成功した高祖父

1900年代の国勢調査を確認する。一家はロンドンのハックニーと呼ばれるエリアに住んでいた。ルイはドイツ生まれ、妻ジェシーはロシア生まれ。

子供達はケープタウンやキンバリーなど、南アフリカで生まれているが、ダニエルの曽祖父サミュエルとその弟はイギリスで生まれていた。

当時の南アフリカは、ダイヤモンドの採掘で一攫千金を夢見たトレジャーハンターが世界中から集まって来ていた。1800年代後半には、数千人がキンバリーにダイヤモンドを求めて移住しており、ルイもその中の一人だった。

その後ロンドンに移った一家。ルイはロンドンで宝石商となっていた。

ロンドン中心部にある、ハットンガーデン。この通りは今でも、宝石商が多く集まる場所として知られている。ルイもここで、宝石商としてビジネスを確立する。

ルイの会社の価値は、当時の値段で1万ポンド(現在の6,500万円)と大きく成長していた。曾祖父サミュエルも10代で見習いとして、家業を手伝っていた。

父のあとを継いだサミュエル

27歳でレイ(レイチェル)と結婚したサミュエル。父ルイは既に亡くなっており、サミュエルは兄とともに家業を継いでいた。

結婚した二人が暮らしたサウスエンド・オン・シーを訪れるダニエル。

ここで初めて曾祖父サミュエルの写真を見る。今の自分と同じ年齢の時に撮られた写真だという。

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海に面した大きな家に暮らし、ここからロンドンに通っていた。娘も2人生まれ、幸せな生活を送っていたようだ。ここからどうやって悲劇が起きるのだろうか。

宝石盗難事件

サミュエルが強盗被害にあったという情報が無いか調べると、いくつもの新聞記事が出てきた。1936年2月、夜中に強盗が入り、オフィスの金庫がこじあけられ、指輪やネックレスなどの宝石類が大量に盗まれたことが、センセーショナルに報じられていた。

被害総額は現在の金額で25万ポンド(3200万円)とかなり大きく、警察の捜査が入った。しかしオフィスに無理やり入った跡がないことなどから、警察はこれは保険金目当ての茶番だと結論づけ、捜査を取りやめてしまった。

実はガーション兄弟が宝石の盗難に遭ったのはこれが初めてではなかった。1922年には9000ポンド(110万円)分の宝石が盗まれ、兄エドワードがその2倍の保険金を受け取るなど、過去15年間に似たような事件が3度あったという。当時のハットンガーデンに宝石泥棒が入ることはめずらしいことではなかったが、このような過去があったことから、警察は怪しんだようだ。

イギリスの反ユダヤ主義

この事件について、警察に手紙を送ったものがいた。そこには、ガーションが宝石の盗難を自作自演したことを示唆する内容が書かれていた。しかしその理由は「ユダヤ人ならやりかねない」といったものだった。

そういう時代だったんだろうけれど、ユダヤ人だということが理由にされるなんてやはりショックだね・・とダニエル。

ユダヤ人に対するヘイトは、当時イギリスでも高まっていた。イギリスでも、オズワルド・モズレー率いるファシスト同盟がナチス同様、反ユダヤ主義を掲げ始めていた。

宝石盗難事件のあった1936年には、ファシスト同盟の行進を阻止しようとした人々との間で、多数のけが人と逮捕者が出た「ケーブルストリートの戦い」と呼ばれる衝突も起きている。

サミュエルの死

新聞記事には、曽祖父サミュエルがショックで失神、運ばれる写真まで掲載されていた。事件のその日に新聞記者がその場にいたようだ。サミュエルはそのままショックで床に伏せってしまい、警察と話が出来る状態ではなかったという。

当時サミュエルと兄の会社には、被害総額とほぼ同額の負債があり、これが詐欺を働く動機になった可能性は十分考えられる。しかし警察は動かず、保険金はおりず、メディアからはセンセーショナルに報じられ・・となると、サミュエルにのしかかった重圧は大きなもだったことは間違いない。

サミュエルが本当に保険金詐欺をしようとしたのかは、わからない。自ら命をたったのは罪悪感からだったかもしれないし、家族が築き上げてきたものが、盗難であっという間に崩れてしまうことへの絶望感もあったかもしれない。

事件の5ヶ月後、曽祖父は車の中で遺体で見つかった。検死官のレポートを読むダニエル。兄エドワードの陳述が残されていた。2月に強盗にあい、ショックで2週間ほど話せない状態が続いたこと。また保険金がおりなければ会社が破産申告をしなければならず、保険会社からの連絡待ちであること、そのことについて2月からずっと悩んでいたこと。

妻には債務者に会ってくる、と言って家を出たようだ。家庭では「素晴らしくハッピーだった」。

仕事がいかなる状況であっても、幸せな家庭を築いていたサミュエル。家族を養い支えなければいけない責任のあったサミュエルにとって、この状況は恐ろしくストレスだったに違いない。もし本当に犯罪を犯してしまったのだとしても、あまり怒れない気もする・・とダニエル。

見つかった遺書には、妻への愛情ばかりが多く綴られていた。しかし長年続けてきたビジネスが破産するかもしれないことに耐えられない、とも。家族への愛が溢れる言葉を読み涙するダニエル。自分も時々不安に襲われ、自分を見失いそうになることがある、というダニエル。こんなに愛情溢れる幸せな家庭を持っていたサミュエルなのに・・。

家族のその後

サミュエルの死をセンセーショナルに報じた新聞記事。家族のショックはいかばかりだったろうか。

苗字をガーションからグレシャムに変更する改名届を手渡されるダニエル。サミュエルの妻レイが、サミュエルの死後3週間後に申請したものだった。

ユダヤ人であることを隠すために改名したのだと思っていたが、家族をスキャンダルや好奇の目から守るため、名前を変えたことがわかった。

そしてサミュエルの死から1年後、盗難への保険金は無事におりたという。

レイが子供達、つまりダニエルの祖母、しいては母をいかに守ろうとしたかがよくわかる。サミュエルは重圧から逃れるため亡くなってしまったが、その後レイが立ち上がった。自分はいつも強い女性に囲まれていると感じるが、曽祖母レイはその中でももっとも強い女性、そしてまた曽祖母に続く強い女性が生まれる道筋を作った人物のように思える。これは先祖の中でも、失敗してしまった男性の話であると同時に、その後を守った女性の勝利の歴史であるとも感じる。

第一次大戦を戦ったアーニー

ダニエルの父は北アイルランド育ち。ベルファスト郊外、バンブリッジに実家がある。

ダニエルは第一次大戦を舞台にしたテレビ映画「マイ・ボーイ・ジャック」の撮影時、曾祖伯父(曽祖母の兄)の1人、アーニーの写真をトレイラーに飾っていた。曽祖母の兄4人が第一次大戦で戦地に行ったことは聞いているが、それ以上のことは知らないという。

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叔母に話を聞くダニエル。ダニエルは覚えていなかったが、曽祖母フロー(フロレンス)はダニエルが赤ん坊の頃存命で、2人で撮った写真が残っていた。曽祖母フローは10人きょうだいの末っ子。兄のうち4人が戦争に行き、そのうちの1人がアーニー・マクドウェルだった。

兄からの手紙

フローは、アーニーが戦地から家族に当てて書き送った手紙の束を大事に持っていた。それを読むダニエル。

雪の上に寝ているけれど、毛布が何枚もあるから全然大丈夫、そんなに悪くないよ、といった近況を伝える手紙。母からの返事も残っていた。他の兄弟が頭に刺さった弾丸の破片を取るために入院していること、無事に戻ることを祈るメッセージ。そしてアーニーのガールフレンドだったジーニーという女性からの手紙も数多く残っていた。

この時代、こういった手紙のやり取りは珍しくなかったという。この世代は、労働階級の中でも義務教育を受けた最初の世代にあたり、識字率も高かったこと、そして戦争によって、文通が盛んになったという背景があった。

手紙の他にも食べ物や物資などが入った小包も前線に送られ、こういった故郷からの便りが、兵士の士気を高めることにもなった。手紙は前線に2−3日で届いたという。第一次大戦中に送られた手紙は実に20億通、小包は1億個にものぼった。

アーニーの従軍記録はもう残っていないため、状況はこういった手紙から推測するしかないが、1914年には予備役であったが開戦と同時にすぐに動員されたらしい。しかしその後凍傷で入院。またしばらくして戦地に戻ったものの、今度はふくらはぎを撃たれて入院している。足を撃たれた時には、同じ部隊にいたらしい兄が担いで助けてくれたことが書かれていた。

この手紙のコレクションには、母親や恋人からの手紙も合わせて残っているところがユニークだという。恋人からは引き続き愛情溢れる手紙が送られており、戦地では兄弟が助け合う姿など、戦争の中にも日常が営まれ、愛情が続いていたことがよくわかる。

途絶えた手紙

1916年5月の手紙がアーニーから出された最後の手紙だった。2年間続いていた彼の手紙はここで途絶える。

バンブリッジの教会を訪れるダニエル。教会の壁にかけられた戦没者慰霊碑に、アーニーの名前があった。兄弟の中で名前があったのはアーニーだけだった。

アーニーが亡くなった時、その場にいたという戦友がアーニーの母に送った手紙も残されていた。アーニーが塹壕にいた時砲弾が着弾し、3人が亡くなった。言葉を残すこともなく、即死だったようだ。一人息子である自分であるが、自分の母親のことを思っても、このようなニュースを母親が受け取らないといけないということは、いかなる心情であるか想像に難くなく・・・と綴った戦友。

少しでも母親を慰めようと、アーニーが苦しむことなく亡くなったことを伝えたかったんだろうね・・とダニエル。

アーニーに手紙を送っていたガールフレンドはどうなったのかが気になるダニエル。2人は1915年のバレンタインの日に、この教会で結婚していた。この年は、アーニーが凍傷などで療養するため地元に長期間戻っていた年だった。少しでも2人が新婚カップルとして時間を過ごせたことに安堵する。また残りの3人の兄弟は無事帰還したという。

エピローグ

ドラマではまさに塹壕の中の兵士を演じたが、こうやって実際に自分の家族が経験したことを知って、さらにそのストーリーにつながりを感じた。兄弟の中でもアーニーのことが気になったのは、やはり1人だけ戻ってこれなかったからかもしれない。アーニーの母からの手紙を読んで、息子を戦争に送る母親の気持ちもよくわかったし、自分の家族の中にあふれる愛情というものにとても気がついた。

家族の中には色々な悲劇があったけれど、彼らは皆愛されていた。人生半ばで亡くなった人たちがいたが、彼らが生きていた時間は、愛に溢れ、生きている価値が十分にあったものだと思う。

ひとこと

久しぶりに誰でも知っている有名人のエピソードが放送されましたので紹介しました。

ハリー・ポッターでしか知らなかったダニエル・ラドクリフですが、彼ももう30歳。映画では髪の黒い男の子でしたが、このエピソードで登場したダニエルは髪の毛も赤茶に近く、本当にどこにでもいそうな普通の青年という感じでした。

ハリー・ポッターという世界中でヒットしたシリーズに長年出演して人生を大きく変えた彼ですが、Wikipediaによると発達性協調運動障害で学校生活に馴染めなかったのが、子役になるきっかけだったようです。この番組の中でも、不安に苛まれることがある・・ということを少しためらいながらも話していたのが印象的でした。

ダニエル(お母さんにはダン、と呼ばれていました)の親戚として登場したロンドン在住のガーションさん。頭にヤマカ(ユダヤ人男性がかぶる小さくて丸い帽子)をかぶったおじさんは、おばあさんのいとことして登場しましたが、多分まだ60代ちょっとに見えました。サミュエルの弟はずいぶん年が離れていたのか、ずいぶん後になって生まれたんでしょうが、2世代違うのになんだか不思議な感じでした。

それにしても、ドイツと戦ったイギリスでさえ、ファシズムユダヤ人排斥の動きがあったんですね。番組ではそれこそナチス式の敬礼をしているイギリスのファシストの写真も紹介されており、はああ・・と思ってしまいました。

ひいお爺さんが卒倒して運ばれる写真、男たちに脇を抱えられるようにして運ばれてい写真でしたが、一体どうやってマスコミは話を聞きつけてやってきたんでしょうか。

そして戦争に行った先祖の手紙。戦争はどの時代も残酷ですが、こういった一兵士の何気ない手紙のやり取りを読むのはより悲しみを誘います。亡くなる前に少しでも夫婦として時間を過ごすことができたガールフレンド、結婚できてよかったですが、その後どうなったのかも気になりました。