【女優:スカーレット・ヨハンソン】北欧・ユダヤのルーツ
プロローグ
By Gage Skidmore, CC BY-SA 3.0, Link
日本では「スカヨハ」とも呼ばれる女優、スカーレット・ヨハンソン。父はデンマークからの移民、母のルーツは東欧にある。
スカーレットが子供の頃、家族の生活はとても苦しく、ずっと生活保護に頼っていたという。そんな中、スカーレットが7歳の時にきょうだいとともに芸能事務所へ。しかしエージェントが最初に興味を持ったのは、弟のほうだったという。
それにショックを受けたスカーレット。それを見た母親が、演技にそんなに興味があるのならと、どんどんオーディションを受けるようにしてくれたのだという。それがスカーレットの女優のキャリアの始まりであった。
そして今では一番稼ぐ女優とまで言われるようになったスカーレット。貧乏の中、絶望を感じることもあったが、家族が支えあってここまでやってきた。まったく何もないところから夢をかなえた、それはある意味アメリカン・ストーリーなんじゃないかと思う、と語る。
ユダヤのルーツ
スカーレットの母方の先祖は東欧から来たユダヤ人。しかし母方の祖父母は母が子供の頃に離婚したため、祖父マイヤーのことはあまり知らないという。
1910年ユーヨークに向かう乗船名簿に、マイヤーの父、スカーレットの曾祖父の名前があった。まだ20代の曾祖父はたった一人、ほぼ何も持たず、体一つでアメリカに渡り、その後ニューヨークのロウワーイーストサイドで八百屋として、バナナを売り生計を立てたという。
身一つでやってきたということは、生きていけないような状況の場所から、一人でなんとか生き残るためにやってきたということ。機会を求めてやってきた、本当に移民の物語があったんだな、と驚くスカーレット。
家族の悲劇
スカーレットの曾祖父は1890年、現在のポーランドにあるグルジェツという街で生まれている。当時この地のユダヤ人は、農地を持つことが許されず、生活は苦しいものであったと考えられる。そんな状況から脱するためにアメリカに移民したスカーレットの曾祖父。しかし曾祖父のきょうだいはポーランドに残った。
1939年ヒットラーがポーランドに侵攻。1942年2月までに、この地域に住むほとんどのユダヤ人は追放されたりゲットーに追われることとなった。
曾祖父のきょうだいには子供が10人いたという。家族はワルシャワのゲットーに送り込まれていた。
ワルシャワのゲットーの環境は劣悪で、約3キロ四方、周囲を壁で覆われたエリアに4万人が詰め込まれていたという。多くの人が飢餓と病気で亡くなり、生き残ったものも殺されたり、収容所に送られるなどした。
イスラエルのホロコースト博物館に、家族の多くがワルシャワのゲットーで亡くなったという消息情報が残されていた。それを見て涙ぐむスカーレット。
自分の曾祖父はニューヨークに渡り、バナナを売りながら生き延びている間に、家族の一部はこんな目にあっていたなんて。
北欧のルーツ
スカーレットの父カーステンは1943年、デンマーク・コペンハーゲンに生まれた。スカーレットは13歳の時に始めてデンマークを訪れた。父親もアメリカ人というよりはよりデンマーク的で、ルーツとしてはデンマークの文化のほうがより身近だったという。そんなことから、デンマークの国籍も取っているスカーレット。
しかし父方の祖母が父が14歳の時に亡くなり、その後再婚した祖父と父が疎遠になったため、祖父に会ったことがないというスカーレット。祖父の話もほとんど聞いたことがなかった。
実はスカーレットの祖父アイナ・ヨハンソンは、デンマークでは有名な美術評論家であり、美術に関するドキュメンタリーフィルムの監督、TVパーソナリティとしてテレビに出演するなどした著名人だった。そんなこと全く知らなかった、というスカーレット。
アイナの父、スカーレットの曾祖父の名前はアクセル。コペンハーゲンで結婚した記録は残っていたが、それ以前の情報がデンマークで調べても全く出てこなかった。
実はアクセルはデンマーク人ではなく、スウェーデン人だった。1918年にデンマークに移民し、造船所や工場で肉体労働をしていたという。
これは予想していなかった、というスカーレット。なぜだかわからないけれど、自分の北欧のルーツは、もっと上流階級か貴族の血でも流れているのではないか、と勝手に思っていた。
デンマークで移民労働者であったアクセルの父親も、スウェーデンの農民だった。
しかしさらに家系図をたどると、9代前にヨハン・ホーグという名前が出てきた。彼は1689年、貴族の称号を得た人物だった。
父親に、よく君はバイキング・プリンセスなんだよ!なんて言われたけれど、貴族の血も入っているのね!と喜ぶスカーレット。それにしても家系図に記されたすべての人物がスウェーデン生まれ。スウェーデンのルーツのほうが深いことに驚く。デンマーク国籍じゃなくて、スウェーデン国籍とったほうが良かった?!
エピローグ
ルーツをたどってみると、自分はアメリカという大きなメルティングポットの産物なんだとしみじみ思う。リスクをとり、機会を求めて、何も持たずにやってきた人のおかげで、今の自分がある。